おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(75)昔の記憶、これからのこと

夕食を終えると、洗い物は母がしてくれる。
私は部屋から薬を持ってきて手渡す。
明日には私も帰るため、以降の薬は伯母に託すことになっていた。

お茶を飲みながら、また母の昔話に耳を傾ける。
毎度のことながら、私が生まれるずっと前の事柄も鮮明に記憶していることに驚かされる。ついさっき見たはずの病院の予約日時はすぐに忘れるのに。
「脳に焼き付ける」という慣用句があるが、記憶とはまさにそんなメカニズムなのかもしれない。
一度見聞きした事柄は脳にうっすらとしか記憶されない。
それを反復して呼び起こす度に記憶はより鮮明に色づき、輪郭を帯びて焼き付いていく。
つまり母が語る昔話は、これまで何度も思い返してきた記憶でもあるのではないか。
だから何十年経とうが思い出せるし、必然とその内容は特別辛かったことか、特別嬉しかったことに絞られてくる。

その日は自分の兄弟姉妹に関する話が主だった。
兄弟の中で一番字が上手いのは誰、一番勉強ができたのは誰、といったこと。
母は身内を誇ることが多い。
淡々とではあるが、初めて私に語る辛かった話もあった。
詳しくは書けないが、世の中には鬼畜にも劣る人間がいて、人生を狂わされた兄弟のこと。

戦後の復興期、それに次ぐ高度経済成長期。母たち兄弟は六者六様の人生を歩んできた。
私も漸く働くことの苦労、家族を養うことの苦労が分かる歳になった。
身内の半生は、彼らが生きている内になるべく聞いておきたいと思う。

そして話は母自身のことに。
幼くして両親を亡くした父もまた多くの問題を抱えていたが、結婚してからは協力して一つ一つ解決してきた。
大変だったが家族がいたから楽しかった。
自分は今まで独り暮らしをしたことがないからこれから寂しい。
数年前に白内障の手術をして十日間ほど入院したが、その時は居心地が良かった。
今も入院した方がいいのかもしれないと思っている…

しかし先日外科医に言われた通り、介護目的の入院はできない。
まずはヘルパーさんに家事を補助してもらいながら、施設の予約も進めるしかないのだ。
それに母のこの言葉とて実は一時的なものでしかなく、後日正反対のことを言い出す。
父が死んだことによる動揺が、初めて私に弱音らしい言葉を吐かせたのだと思う。

でも友達もたくさんいるし、躍りの稽古が生き甲斐だから大丈夫だ。心配しなくていい。
話の最後はいつも通りの母に戻っていた。
しかし認知症はその最後の砦すら壊してしまう。
苦難を乗り越え、穏やかな老後を楽しみにしてた母にとってあまりに酷い仕打ちじゃないかと運命を呪いたくもなる。

(74)外食したいと言うが…

姉が帰りその日の晩。
母は外食して鰻でも食べないかと言う。
これから節約するから、これで最後だと言う。
私はしばらく考える。
外食をするなとは一度も言っていない。
ただ、父が死に年金の受給額が減るのだから、今まで通りの支出では赤字になってしまうと言ったのだ。
というのも母の金銭感覚がもはやまともではないと感じていたからだ。
家には似たような服や鞄がたくさんある。一緒に買い物に出かけるとすぐに高い刺身をカゴに入れる。
節約という意識はあるが、行動が伴っていない。

それでもまだ外食は贅沢なことという認識はあるようだ。
本当ならその日限りの外食など何の問題もないのであるが、ここで外食をしてしまうとストッパーが外れそれが当たり前になってしまうのではないかという予感がした。
私よりも節約に関して口うるさい姉が居なくなったそばからこのようなことを言い出したことも不安要素の一つだ。
「節約する」という言葉もいつもの通りその場しのぎの相槌に過ぎないのではないか。
「冷蔵庫の中のもの、片付けちゃわないといけないんだ」
心を鬼にしてその日は諦めてもらった。

生まれてこの方、両親に節約しろなどと言われたことは一度もなかったのに。
学生時代は仕送りもしてもらい、足りなくなれば頼ったこともあった。
その時だって何に使ったのかだとか、バイトで稼げなどと言われたことも一度もなかったのに。

心苦しいが仕方がない。
自営業だった我が家は国民年金だ。
商売も郊外に大型量販店が林立してからはさっぱりだっただろう。蓄えも豊富なわけではない。
土地だけはあるので駐車場にしていたが、近年は借り手も少ない。
固定資産税ばかりが出ていく。
この様子では私たちもこれから頻繁に帰省せねばならないだろうから、交通費もかかる。
節約は避けては通れないのだ。

晩御飯は私が作る。
冷蔵庫のキャベツの千切りが傷みかけていたので玉子やベーコンと一緒に炒める。
久々の料理で味が少し濃くなってしまったが、母は全部食べてくれた。
本当は外食したかったのに、ごめん。
たぶん初めて母さんに振る舞う手料理だけど、こんな残りものでごめん。

(73)ほとんどの家電に自動停止機能がない

翌日、姉が帰る日。
分担しできることは全てやっておこう。
まず私は家と金庫の合鍵作り。金庫は家の重要書類を入れ、母が間違って何処かにやらないようにするためで、私と姉で鍵を保管する。
鍵を作っている間に掃除用具の買い出し。
いくらヘルパーさんに頼むといっても少しくらいは自分でやらなければ本当に廃人になってしまう。
粘着テープをローラーで転がす掃除用具や、風呂掃除用に柄のついたスポンジを買う。
これであれば足腰に負担をかけずできるだろうと考えたのだ。

一方姉は家電店へ行き安全装置つきのガスコンロと電気ケトルを買ってくる。
ガスコンロは一定の時間が過ぎると自動で止まり、また吹きこぼれも検知してくれるという。
実際、母は何度となく鍋を吹きこぼすことになるのだが、私たちが居るときは私たちがすぐに消し止めるため、自動消火が働いた瞬間は見たことがない。

一方の電気ケトル
水を入れ、コンセントを差した台の上に乗せスイッチを押すだけだ。
使い方はまだよかったのだが、問題は放っておくと保温状態が続くことだ。
保温状態であることはスイッチのランプが灯っているのでもう一度押せばいいのだが、より確実に止めるために母にはコンセントごと抜くよう言い聞かせる。

ここで私は家電の問題点に気がつく。
ほとんどの家電製品は、自動で止まらないのである。
特にこの冬場、加熱する家電の使用頻度は高く、同時にこれらは電気消費量が多いため電気代に直結する。
我が家においても、エアコン、ホットカーペット、炬燵、電気毛布などが欠かせない。
保温機能があるものとしては他にも炊飯器と風呂の電気パネルが当てはまる。
そしてこれらのいずれも、スイッチを切らない限り自動では停止しないのだ。(風呂の電気パネルだけは後日自動停止機能を発見した)
私たちですらスイッチの消し忘れは年に数回はやってしまう。
そしてそれは同居人がいる場合、ダブルチェックが機能する。
独り暮らしとなってしまった今の母にとっては非情に厳しい現状だ。

家電業界が不振というが、高齢者のための安全・安心機能を備えた製品がもっと増えれば我が家のように買い替え需要はある。
他にもリモコンの操作を簡単にするとか、テレビの音量を自動調整してくれる機能など、高齢者とその家族のライフスタイルを考えればそれを補助する製品はいくらでも思い付きそうなものだ。
高機能・高画質を謳い文句としたテレビばかり出し売れない売れないと嘆いている家電業界を見るとやっぱりずれているな、と思わざるを得ない。

そして私たちの危惧は現実のものとなり、その年の冬、到底独り暮らしとは思えない額の電気料金を毎月支払い続けることになる。