おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(78)メモをとる癖

ここまでで一旦回想話は終わりにしたい。
この間たくさんのスターを頂き、ありがとうございます。モチベーションに繋がります。

今までの人生で最も濃密だった十日間。(最初のタイトルに「九日間」と書きましたがよく見返したら十日間だったため修正しました)
特に何回で書ききろうとは考えずに始めたのだが、終わってみれば全52回となった。
ここまでの母の症状はほんの入り口に過ぎず、この先日々進行していくし、このとき以上に頭を悩ませる大きな事件も起こる。
しかしここまでを総括した話も書きたいので一区切りとする。

回想を書くにあたってはなるべく詳細に書こうと心掛けた。
長くなれば日を跨げばいいのだし、文字数制限のないところがブログのいいところだ。
そしてなんとか詳細に書けたのは、メモ帳を活用していたからこそだ。

私は自分の記憶力が無いことを自覚している。
なので初めてのこと、知らないことに接したときは必ずメモをとることにしている。仕事のクセでもある。
自分がそうしているからこそ、母にも何度も勧めたのだ。
とはいえ後になってやっぱり時系列が逆だったことに気づいたなんて箇所もあるが、大筋に影響がないのでこのままにしておきたい。

メモ帳はA6サイズと決めていて、この一年で軽く3冊は消費した。
持ち運びが楽だし、人との会話中に取り出しても不自然でない。
これがスマホのメモだと不誠実な印象を与えかねないし、何より手書きのスピードには勝らない。
メモ帳であればボールペンで殴り書きでよく、間違えたら取り消し線を引く。
ただし日付だけはページの先頭に書いておくと決めている。
メモの内容は大きく分けて二種類。
タスクを書き連ねるページと、事実だけを書き留めるページ。

前者は忙しい時こそ些細なタスクまで書き留めておくことが大切だ。
例えば洗剤を買うだとか布団を干すだとかといった日常的な家事さえも、葬儀などの大きなイベントや介護という大きな問題を抱えた際には埋もれがちだ。
取り合えずタスクの全量を把握さえすれば、その中で優先順位をつけられるし、家族と役割分担をして効率的に消化することができる。
そして案外この些細なタスクが記録として活きてくる。
例えば「部屋干し」というキーワードから、そう言えば何日も晴れの日がなかったなといったことが想起できるのだ。

後者は特に心に引っ掛かったことを記録する。
その時は何てことないと思っていても、後になって読み返すと点と点が繋がり見えてくることがある。
逆に、こんなにも心に響いた言葉は忘れないだろうと思ったことも書かねばその内に思い出せなくなってしまうのだ。

このように記録を大事にするようになったのは2011年から。
手書きのメモ帳以外にも、スマホの日記アプリも活用している。
きっかけは前の年に娘が生まれたことと、東日本大震災だ。
次回からは日記の必要性と、介護への活かし方について書きたい。

(77)実家を後に

荷造りをしていると叔母がやって来る。
母のことをまとめた手紙を渡すため前もって連絡しておいたのだ。
「どう?ちょっとは落ち着いてきた?」
叔母は事情を知った上で母に笑顔で接してくれる。
「まだ父さんが死んだって実感がわかないねえ」
居ることが当たり前だった毎日が突然終わったのだから無理もない。
「一度思いっきり泣いてみるといいよ」
叔母もまた数年前に息子さんと旦那さんを立て続けに亡くしているが、息子さんのことはまだ気持ちの整理がつかず、今でも時折思い出しては一人泣いているのだという。

確かに泣くことができたら、気持ちは幾分か軽くなるだろう。
ヒトは泣くことで辛さを和らげる脳内物質が分泌されるとも言う。
しかし母はまだ父が死んだことを受け入れきれていないのだろう。
この十日間、表情は固いままだ。
「父さんの植木を毎日世話したらいいんじゃない?」
日課となる役割があれば少しは日々に張り合いが出るのではと思い、私も極力明るく振るまい、そう提案する。
「そうだねえ、そうする」
母は答えるがいまいち声に張りがない。

「じゃあそろそろ、行くから」
こっそり叔母に手紙を渡すと、荷物を担いで腰を上げる。
「うん、色々とありがとう」
葬儀や相続などの手続きを子どもたちが全部やってくれたから本当に助かった。自分は何もしなくてよかったと母は伯母に話した。
「また相続の手続きですぐ来るよ」
元気で、とかは何となく違う気がしたのでまたすぐに来るよ、という言い方にした。

各種手続き、介護申請、お墓の修繕、四十九日の準備、母の独り暮らしのためのアレコレ。
目に見えているタスクだけでもまだ半分も終わっていないが、優先順位を決めて一つずつ片付けていくしかない。
しかし一旦は二人の伯母にバトンタッチして休憩だ。
心配は尽きないが一先ずこの開放感を味わってリフレッシュしないことには先に進めない。

帰りの新幹線。
平日であったこともあり自由席も空いていた。
売店で買ったおにぎり。ビールが胃にしみ渡る。
トンネルに入り背もたれに身体を預けると、ボロ雑巾のようにくたびれて眠った。

(76)認知症は人としての尊厳を脅かす

いよいよ私も実家に留まることのできる最終日。
家中の灯油を注いで回ったり、古新聞を縛って纏めたりといった力仕事を中心にこなす。
この十日間の様子を見るに、灯油ポリタンク一つはおよそ五日間でなくなる。
一ヶ月では大体6タンクの消費だ。
なくなれば電話一本で配達してもらえるのだ。
エアコンの方が安いのではないかと思うが、隙間だらけの木造家屋である我が家はファンヒーターの方がすぐに暖まるのだと母は言う。
私としても消し忘れのことを考えればファンヒーターであれば時間が経つと自動停止するため、無理にもエアコンとは言わない。
灯油継ぎだけは溢すのが心配であるため、ヘルパーさんが来るまでに灯油が尽きたらエアコンを使うようにと母に言う。

公共料金も見直さねばならない。
電気のアンペア数は減らしてもよさそうだ。
NHKのBSももう何年もチューナーは外したままなのに未だに月額を払い続けている。
あとは新聞。
付き合いで購読しているようなものもあるので解約できるものはしたい。
しかしこれらの整理は今回は時間切れなので次回帰省したときにしよう。
また父の口座が凍結されているため自動引き落としはされない。
請求書が届くはずなので捨てないで必ずここに入れておいてくれと箱を用意する。

次に今後人と約束していることはあるかと母に聞く。今の調子ではきっとまた約束を違えると思ったからだ。
聞けば新年会の予定がいくつか入っている。
一つは親族会、もう一つは隣組
これらは四十九日も終わっていないので参加はしない。
しかしもう一つ。
躍り教室の新年会だけはどうしても出ると言う。
その日は着物を着て、得意料理の豆を煮て持ち寄るのだそうだ。

次第に母の躍り教室に対する想いが見えてきた。
日本舞踊は母の中では何を差し置いてでも優先すべきことであり、もはや楽しみの域を超えている。
茶道や華道のように立ち居振舞いも重要であり、師範は師範なりの、名取りは名取りなりの所作が求められるようである。
母は名取りという地位を大変誇りに感じており、それは母のアイデンティティなのだ。

それだけに認知症という病気は非常に残酷だ。
今現在、母はまだ名取りとしての体面を保てていると思っているのに肝心の形は体をなしておらず、周囲は気遣ってそれを本人に言わないだけなのだ。
心に身体が伴っていないことに本人は自覚症状がない。
厳格なしきたりを重んじる躍り仲間の内にはそれを快く思っていない人もいるだろう。そういう世界なのだ。

人としてのアイデンティティ、尊厳が脅かされる。
それが認知症だ。