おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(82)介護に役立つツール

ここまで書いてきたように手帳と日記アプリを活用することで私は記憶の補助と心の整理を行っている。 他にも介護にあたっては役立つツールがいくつかあるので挙げてみたい。一つはスマホのカメラ。 役所の書類は未だに手書きで提出すべきものがほとんどだ。 …

(81)思想と表現の違い

前回までで私が日記をつける理由はほぼ書いたのだが、補足でどうしてもこれだけは書いておきたい。気持ちを吐き出す文章は、個人が特定されない範囲であればプライベートな日記でなくともブログやSNSでもいいのではないかと言う人もいるだろう。 または友人…

(80)気持ちに折り合いをつける

自分の頭の中だけは誰にも侵害されることのない、際限なく自由な領域だ。 上手くいかないことばかりの毎日で、今の自分ではどう抗っても解決できない難問の前で、ただそこだけは最後の砦だと思っている。 「どうしてこんな辛い思いをしなければならないんだ…

(79)日記の効果

日記は元々つける習慣はなかったのだが、2004年頃のブログ黎明期、日々の出来事を公開している人たちを見ていいものだなと思った。 行った場所、会った人、食べたもの、観た映画、聴いた音楽、読んだ小説。 これらは活字に残すことで記憶に残り糧となる。 ま…

(78)メモをとる癖

ここまでで一旦回想話は終わりにしたい。 この間たくさんのスターを頂き、ありがとうございます。モチベーションに繋がります。今までの人生で最も濃密だった十日間。(最初のタイトルに「九日間」と書きましたがよく見返したら十日間だったため修正しました…

(77)実家を後に

荷造りをしていると叔母がやって来る。 母のことをまとめた手紙を渡すため前もって連絡しておいたのだ。 「どう?ちょっとは落ち着いてきた?」 叔母は事情を知った上で母に笑顔で接してくれる。 「まだ父さんが死んだって実感がわかないねえ」 居ることが当…

(76)認知症は人としての尊厳を脅かす

いよいよ私も実家に留まることのできる最終日。 家中の灯油を注いで回ったり、古新聞を縛って纏めたりといった力仕事を中心にこなす。 この十日間の様子を見るに、灯油ポリタンク一つはおよそ五日間でなくなる。 一ヶ月では大体6タンクの消費だ。 なくなれば…

(75)昔の記憶、これからのこと

夕食を終えると、洗い物は母がしてくれる。 私は部屋から薬を持ってきて手渡す。 明日には私も帰るため、以降の薬は伯母に託すことになっていた。お茶を飲みながら、また母の昔話に耳を傾ける。 毎度のことながら、私が生まれるずっと前の事柄も鮮明に記憶し…

(74)外食したいと言うが…

姉が帰りその日の晩。 母は外食して鰻でも食べないかと言う。 これから節約するから、これで最後だと言う。 私はしばらく考える。 外食をするなとは一度も言っていない。 ただ、父が死に年金の受給額が減るのだから、今まで通りの支出では赤字になってしまう…

(73)ほとんどの家電に自動停止機能がない

翌日、姉が帰る日。 分担しできることは全てやっておこう。 まず私は家と金庫の合鍵作り。金庫は家の重要書類を入れ、母が間違って何処かにやらないようにするためで、私と姉で鍵を保管する。 鍵を作っている間に掃除用具の買い出し。 いくらヘルパーさんに…

(72)信頼関係が崩れていく

ヘルパーさんに来てもらえるようになるまでは母を極力一人にしないようにせねばならない。 姉は関東に済む母の妹さんに連絡を入れ、母の状態を説明し何日か一緒に寝泊まりして欲しいとお願いした。 妹さんは先日父の葬儀で来たばかりであったが、了承しても…

(71)老後の蓄え

雪は午前中で止んだ。 六日間の滞在を終え、妻と娘が先に帰るため私は駅まで見送る。 途中だだっ広い駐車場にまだ足跡もないふかふかな雪が積もっていたのを見つけ、娘が遊んでいいかと聞く。 いいよと言うと喜んで駆け出した。私も笑顔になりたいが今はでき…

(70)「ここから、長いですよ」

「まだら痴呆であるかもしれません」 と医師は言う。 ただし彼は外科医であり、専門の診察をしたわけではないのであくまで参考意見の域を出ないのであるが。 「まだら痴呆」とは脳の血流が悪くなることによる認知症の一種で、アルツハイマー型とは異なるらし…

(69)椎間板ヘルニアと担当医

母の担当の外科医は先日の心療内科医と同様複数の医院掛け持ちであるため、診察は月に一度だけ。 やはり高齢者ばかりの待ち合いロビーで順番を待つ。 母は「トイレに行ってくる」とソファを立つ。その際財布の入った小さな手提げバッグはソファの上に置き去…

(68)バスの乗り降りも覚束ない

雪道を考慮し余裕を持って家を出たためバス停には早目に到着する。 前の日に私は市が発行する高齢者用の半年間有効フリーパスを購入し、それをパスケースに入れて母に渡してあった。 バスの営業所にも赴き、そこで路線図と時刻表も入手していた。営業所の駐…

(67)雪に覆われた町

ドス、ドスと鈍くて低い音が断続的に、夢見心地に聴こえてくる。 懐かしい感覚だ。 昨晩の内に降り積もった雪が屋根から滑り落ちる音である。 その重厚な塊は木造の我が家を僅かに揺らすほどの振動をもたらす。 もう少し寝ていたいが不規則な周期で眠りの海…

(66)詐欺は見抜けない前提で

仏壇屋の営業を家に上げたことは私と姉にとって新たな悩みの種となった。 それより遡ること2年前、母は一度振り込め詐欺に騙されかけている。実家に私の名前を騙る男からの電話があった。 声も似ていたため、すっかり信じて話し込んだのだという。 ところが…

(65)仏壇屋の便乗商法

次に私たちがしたことは家から火気を極力遠ざけること。 良くか悪くか、母はフライパンを使う料理はほとんどしなくなっていたため、火を扱う機会は減っている。 しかし好きな煮物料理はまだたまにするようだ。これはグリルと同じく取り上げるわけにはいかな…

(64)通帳カード印鑑が見つからない

約束の時間になり、父がメインバンクとして利用していた銀行へ向かった。 事前に伝えておいた名前を言うと別室に通され、おそらく私よりも若いと思われる担当者と名刺交換をする。 この日の目的は父の預金口座の相続だ。 最初に、私には予備知識がまるでない…

(63)選ばなかった方のシナリオ

翌日は金曜日。 平日の内に私と姉は役所や金融機関を回らねばならないため、妻にはその日まで居てもらい、家事を任せることになっていた。 この間、娘にとってはよほどストレスであったことだろう。 大人には相手をしてもらえず、友達もいない。天候不順で外…

(62)伯母のこと

心療内科から帰宅し、私と姉は伯母の家へと向かった。 父には姉と妹がおり、葬儀の際に忙しく立ち回ってくれたのは妹(叔母)の方。 だが距離的に我が家から近いのは姉(伯母)の方なのだ。伯母も当然高齢だ。近年は大きな手術もしているし、補聴器が必要な…

(61)「世間体」が残った

医師はカルテに目を通しながら母の来院歴を私たちに教えてくれた。 最初に鬱病と診断されたのが3年2ヶ月前。医師はその原因となった伯父の病気のことも知っていた。 抗鬱剤を処方したところ、最初の3ヶ月で改善が見られた。 そこからは量を調整しながら、…

(60)病名は「薬物依存症」

介護認定の申請には主治医の意見書と、本人の身長体重を申告せねばならない。 診察を終えると、母は隣の部屋で身体測定を行う。 これで残った私と姉は医師に母の症状を包み隠さず伝えることができる。足のふらつき、薬を飲みすぎる他にも、こういったことが…

(59)眠れぬ苦しみ

順番が来て診察室に入る。 主治医は母と一緒に私と姉が来ることは事前に受付から聞いていたはずだがそれには触れず、初対面の挨拶を交わす。 父が亡くなったこと、今日の目的は介護認定のための意見書を貰うことも改めて話す。 普通であれば医師との話があま…

(58)待合室とワイドショー

午後からはいよいよ母の心療内科の受診だ。 元々月二回の受診日の内の一日ではあったのだが、主治医は他の診療所とかけ持ちであるため週に一、二回ほどしか顔を出さない。 この日を逃してしまえば私も姉も仕事復帰してしまう。 何としてもこの日、主治医に母…

(57)初七日の朝

初七日を迎えた朝もまた慌ただしい。 仏花やお供えの支度をしつつ、木魚やおりんといった仏具を並べるのだが正しい配置がわからない。 こういう時はスマホが役立つ。 「何でもそれでわかるんだねえ」と母はしきりに感心する。約束の時間より少し早く住職が到…

(56)職人の血

戦後の昭和20年代後半、日本中にパチンコブームが興ったという。 私の地元も例外ではなく、駅前をはじめとし市内には何軒ものパチンコ屋が林立した。 母の父、つまり私の母方の祖父は知り合いに話を持ち掛けられ、共同出資でパチンコ屋を開店したのだそうだ…

(55)母の幼なじみ

私と母はカメラ屋さんを後にし帰路につく。 正月明け早々とはいえ、町の商店はどこも閑散としていた。 花屋の前には軽トラックが停まり、エプロン姿の若い女性店員が重そうな鉢植えを荷下ろししている。 過疎化の進むこの町で、若者はどんなことを考え日々暮…

(54)たった一枚の家族写真

カメラ屋までは歩いて向かう。 元来母は歩くペースがそれほど速くないので歩調を合わせる。 道すがら、母は目に入る一軒一軒に対して説明を添えていく。 このお宅は我が家の遠縁であるといったような今さらな話から、ここは知り合いの誰それさんが住んでいた…

(53)命のバトンを繋ぐ世代

帰宅すると娘はもう今朝買ってもらったジグソーパズルを完成させており、誇らしげに私に見せる。 私も一仕事終えた開放感もあり顔がほころぶ。 トーストを焼き、珈琲を淹れ、皆で少し遅めの昼食をとると私と姉はお互いの情報交換。やがて母は私にこの後一緒…

(52)介護認定の申請

次に向かった先は福祉事務所。 毎度「福祉課」と書いていたが正しい名称は「福祉事務所」だ。 前の日に電話を入れてあったがその後も様々な問題が発覚しているため、改めて母のことを一から話す。 当然火災未遂の件もガスコンロを手放さない件も話した。私の…

(51)手続きの山とお役所仕事

午後になり姉と母は父の生命保険受け取りの手続きへ。私は市役所へ。まずは市民課。 葬祭費を私の口座に振り込んでもらうように書類を書く。 この時点で母の心配による精神的疲労が余程蓄積していたのであろう、このとき書いた口座番号は数字を一つ間違えて…

(50)徘徊の兆し

話し合いが終わると母はとっとと腰を上げどこかへと行く。 横になっているときもそうだが、一人で何かをしようとしているときは常に心ここにあらずといった様子だ。 周囲を見渡し誰が何をしているか等観察するといった態度が皆無なのだ。その日も不意に外套…

(49)ガスコンロにこだわる

私と姉は母を交え、父のいない、これからの新しい生活を一緒に考えようと切り出した。 まずリハビリのための通院をどうするか。 週に何度もバスで通うようなら定期券がいい。 調べると市で高齢者割引パスを発行しているようなのでこれを購入しようということ…

(48)デパスと副作用

母が処方されていた薬はデパス。 私はこのとき初めてその存在を知ったのだが、姉は自分が以前頼った薬も同じであったため知っていた。 その手の問題を抱える人たちにもお馴染みの薬であるらしい。 神経を落ち着かせる作用があるとのことで、母の不眠がやはり…

(47)問題が渋滞している

父の告別式から二日目。 母を取り巻く状況は更に深刻であることに気づかされる。 三年前にヘルニアの手術をしてから、母はしきりに足がふらつくのだと口にしていた。 そのため外科へリハビリに通っていたのだが、病院まではやや距離があり、父の運転する車で…

(46)ドラマ性を排除した我が家

子どもの頃からずっと、私は父と母の弱いところを見てこなかった。 それは二人が強かった訳ではなく、弱いところを見せなかっただけなのだ。 私はそれを知らず、大人が弱音を吐いたり感情を顕にしたりするのはドラマだけの世界だと思っていた。ドラマ性の排…

(45)親不孝

小学校の高学年、私は反抗期にあった。 といっても反抗の対象は親ではなく学校の教師だった。 上手く説明できないが、学校という空間がどこまでも大人中心で回されることが気に喰わなかったのだ。自分たちの存在が希薄に思えて嫌だったのだ。 と書いても何だ…

(44)みんな、心にストレスを抱えている

母は父の死を受け入れられず、今が特別不安定な精神状態なのかもしれない。 それにしてもこのまま独りにさせるわけにはいかない。 気持ちが落ち着くまでは母の妹さんに一緒に泊まり込んでもらうようお願いしてみようか。 夜の十時を過ぎた頃、私は姉と今日あ…

(43)テレビの音量が最大レベルに近い

もう寝るから、と寝室に上がった母。 しばらくしてそこからテレビの音が聞こえてくる。 しかも階下まで響くような大音量だ。心配になり私は階段を上る。 「入るよ」「うん」 襖を開けると母は布団に横たわりバラエティ番組を見ている。 「ちょっとテレビの音…

(42)父の闘病

皆で夕食を終え、妻は娘の寝かしつけに寝室へ、姉はお風呂へ。 私と母は居間で二人きりになり、お互いの近況やら昔話やらの会話を交わす。 父の生前も、父はいち早く寝室に向かうため、これは私が帰省した際の恒例の儀式のようなものとして自然とそうなる。…

(41)ピアノの音色、感情の色

市役所への手続きはまとめて翌日行うことにした。 福祉課へは取り合えず母の国民健康保険証を持参すれば話を聞いてもらえるらしい。夕方になり弔問客の足取りも一段落ついた頃、私は散らかった洋間を片づけそこにファンヒーターを運び入れた。そこには昔姉が…

(40)うつと認知症

その日の私たちの計画はこうだった。 外は雨のため妻は娘の相手をしながら弔問客にお茶を出したり、食事の支度。 姉は戴いたお香典の精算と葬儀屋への支払い。代理の方から受け取ったため香典返しを渡せていない方のリストアップなど。 そして私は市役所への…

(39)子ども扱い、大人扱い

三年前、度重なる心労を抱えた母であったが、それ以前から寝つきが悪く、心療内科から睡眠導入剤を処方されていたことは姉も知っていた。 その同じ心療内科で鬱病と診断され、つい前の年まで抗うつ剤を服用していたのだという。 これに関して知っていたのは…

(38)母が抱えた三重苦

雨が小康状態となった間隙を縫っていつものように叔母が電動自転車でやって来た。 「これみんなで食べてね」とホーローの容器に入った煮物を置いていってくれる。 用事を済ませるとそのまま腰を下ろすこともなく、軽く世間話でもして帰ることが多いのだが、…

(37)蝋燭の火が仏花に燃え移った

告別式から一夜明け、今日から限られた時間で葬儀屋への支払いやら相続手続きなど所用を片付けなければならない。 昨日から崩れ始めた天候は回復せず、私や娘などを含めた分の大量の洗濯物は部屋干しするにもスペースが足りず、干したものさえも一向に乾かず…

(36)寺との関わり、肌感覚の違い

私や姉がお布施に対して疑問を持ったのは、そもそもお布施という習わしの本質を肌感覚で理解していないからであろう。 お布施は葬儀屋に支払うサービス料とは違う。 かといって税金のように納める義務があるものでもない。 お経を読んでいただき、戒名をつけ…

(35)開基檀家の誇り

火葬が終わるまでの間は斎場でお斎。 お通夜とは違って娘が場の中心となり賑やかす。 まだ人見知りする年齢でもなく、初対面の誰の前でもマイペースに振る舞うため、場が和み助かった。 参列者は生涯独身者か旦那さんが体調を壊してる方か、先立たれた未亡人…

(34)火葬場への道

棺の蓋が閉められ、釘打ちをする。 これより火葬場に向かいますとの案内に従い、遺族はマイクロバスに、私だけが霊柩車の助手席に乗り込む。 長いクラクションが鳴り響いた。 穏やかな気候は相変わらずだが、やや雲が厚くなってきた。火葬場までは馴染みの道…

(33)家系のつづきを

昼過ぎに告別式が始まる。 読経の間、お焼香の方々と黙礼を交わす。 地元の同級生も来てくれており、その鼻頭を赤くした顔を見て何だか有り難い思いがした。 娘には読経は長過ぎるため途中で退出させる。 そして通夜に引き続き喪主としての挨拶。 「家と歴史…