おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(2)日本どうすんの

母に介護が必要だと認めてから一年過ぎ、未だ出口は見えない。
母は施設への入居を拒み、数字を把握することへの困難から父の遺した貯金は空け放したの蛇口のように日々流出していく。

この一年間、私の頭の中には常に二つの「どうすんの」が付きまとう。
一つは無論目の前の母に関する「どうすんの」であり、もう一つはこの日本という国に対する「どうすんの」だ。
先日、2025年には9人に1人が認知症になるだろうというニュースを見た。
私にはとてもこれを大袈裟な数字とは思えない。
加えて少子高齢化社会は既に「約束された未来」である。
社会保障費の逼迫、認知症患者による自動車事故、介護疲れ殺人、老介護施設と職員の圧倒的な不足…
どれをとっても目を背けたくなる現実ばかりだ。

目を背けていたのは一年以上前の私も同じだ。実の親が認知症を患うリスクは勿論、寝たきりになった場合の対処すら敢えて直視しないようにしてきた。
そんな私がいざ火の粉が降りかかってから「日本どうすんの」なんて言うのは虫がよすぎるとも思う。
しかし声を上げるべきは今だと思った。当事者にしか訴えられないこともある。我々30代40代はいつまでも失われた何年などという自虐に甘んじていてはならない。
認知症少子高齢化問題は我々世代の問題なのだ。

この国の方針は明確に示されているのだろうか。
それが増税なのか、働ける内は働けという一億総活躍社会なのか。
認知症への取り組みは。医学薬学分野への投資は進んでいるのか。高齢者にこそ自動運転車やAIが必要で、そこに全力を傾けるときではないのか。
決まってしまったことだから成功させるしかないけど、今本当に東京オリンピックが必要だったのか。
国も自治体も、地に足がついていない、フワフワと浮遊している気がしてならない。

物心ついてから好景気を知らず、親世代が築いた社会の枠組みの中で控え目に生きてきた30代40代。
そろそろ動き出していいんじゃないのか。
私にも何かできることはと考え、このブログを始めることにした。