おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(4)一つの関心事への執着

初めて自分たちが主体で取り仕切ることになった父の葬儀の準備は目まぐるしく、私はやるべきことの全てを大判のスケッチブックに書き出し優先順位をつけて親族で分担作業することにした。
その中で一人、母だけは思いつくままに行動した。

翌日に棺を父を安置している仏間まで上げなければならない。そのためには台所のテーブルを一度分解して片付けなければならない。それなりの時間を要しそうなので今日はもう遅いから明日やろう、それよりも今は夕食の支度をしよう。
そう決めたにも関わらず母はテーブルを片付けてくれと何度も訴えかけてきた。
「明日やるから」
そう言った5分後にはまた同じことを頼まれる。仕方なくその場でテーブルを解体した。

葬儀を終えた後も弔問客は絶えない。葬儀屋への支払いも残っている。そんな中でも母の単独行動は収まらなかった。
父の乗っていた軽ワゴンを処分してもらうと言う。
そんなことは落ち着いてからでいい。確かにもう処分して構わないほど古びているが今後私が帰省したときに運転するかもしれない。
そう釘を刺したにも関わらず母は自ら業者に電話を入れ早々と引き取ってもらってしまった。

一度「やらなければ」が生じると何を差し置いてでも実行する。その後も母の行動パターンはほぼこんな様子だった。
「3時になったら家を出よう」
と持ち掛けても自分の支度ができしだい出発しようとし、私たちを待とうとしない。電話をかけた相手が出ないと3分と置かずかけ直す。

私が異変に気づく前の症状であった「同じ話を繰り返す」ことと、父の葬儀の際に発現した一つの事柄に執着する症状は地続きであるような気がする。