おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(6)別人なんかじゃない

家族が認知症になってしまうことのショックは大きい。最初のショックは「よく知っている家族がまるで別人のようになってしまいもう戻って来ない」と考えてしまうことである。

今まで普通にこなしていた家事ができなくなり、実の子の年齢を10歳も間違える。
しかしできなくなる、わからなくなるはまだ許容できる方なのだ。
本当に辛いのは別人格が憑依したかのように見えたときだ。
長い付き合いのある知人の悪口を言ったり、高額な洋服を買ってきたり、知人宅で夕食時まで居座ったり。
そんなことする人じゃなかったのにと誰もが驚く。

だが私はこれこそが母の本来の姿なのではと思うようになった。
人は誰しも憎悪や嫉妬の感情を抱いたり、見栄を張り自分を誇大に見せたい欲を持っていたりする。楽しい時間はいつまでも続けたいし、嫌なことからは目を背けたい。
子どもはこういった衝動を抑えられないし、それは大人になるにつれ制御できるようになってくる。心の内ではあいつが憎いと思っても建前上折り合いをつけなければならなかったり、目先の快楽を求める前にそれは誰かを傷つけないか、他に優先すべきことはないかと立ち止まったり。
ところが認知症は関心事の周囲がぼやけてしまっている。衝動に対するストッパーが機能しないのだ。
悲しいことだが、受け入れがたいことではあるが、子どもに戻ったような思考回路になってしまっているのだ。

しかし目の前にいるのは知らない人なんかじゃない。かつて贅沢を我慢し、あらゆる苦難を乗り越え、私を育ててくてた母そのものなのである。