おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(8)「介護に正解はない」という言葉に救われた

私たち姉弟にとっては今回が初めての介護だ。父方の祖父母は短命だったため顔を見たこともない。
介護のイメージはドキュメンタリー番組で見る姿がほぼ全てだった。

周囲に介護の話をすると、実は自分も祖父母が、とか親戚が、といった経験談をたびたび耳にすることがあった。
そして皆一様に口を揃えるのは、介護に正解はない、長期戦なのだから介護をする方が参ってしまい共倒れにならないように、という助言だった。
この言葉には幾分か救われた思いがある。
すべてを背負うことはないのだ。そのために社会福祉制度があるのだから。
利用できるものは利用していこう。
私たちはそう決めた。

母と近しい人物にも事情を話して回った。
ご迷惑をかけることもあるだろうが、こちらとしてもやれることはやっている。
ケアマネをつけ、週に3回ヘルパーさんに来てもらっている。
万が一何かあったら私たちに連絡して欲しい。
母が頻繁に立ち寄りそうな所には菓子折りを持参し、そうお願いした。

都合のいい言い草かもしれないが、少子化高齢化は二つ一組のセットで社会全体の問題だと思っている。
保育園と介護施設、保育士と介護福祉士
足りていないのはどちらも同じだ。どちらも社会全体で支えあうことができるのが理想なのだ。
多少関係者に協力してもらうことも止むを得ない。
その分、私も今住んでいる地域においてできる範囲で高齢者を手助けしよう。
そんな考えを持ち始めた。

娘がまだ今より幼かった時、電車内で泣き喚き迷惑をかけたこともあった。
その経験があるからこそ、今電車内で他人の子が泣いていても、お互い様だと特段迷惑とは思わない。
母の介護においても(もちろん気にかけるところはかけていくが)、四六時中他人への迷惑を気にしていては何もできない。
子育てが育児ノイローゼにならないよう精神の安定を保つように、介護も割り切るところは割り切り介護疲れとならないようにしなければならない。
どこで線を引くかはそれぞれだ。
人には人の、家庭には家庭の個別の事情がある。
介護に正解はないのだ。