おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(18)有り余る時間の過ごし方

認知症患者への接し方で望ましいのは、相手に笑顔になってもらうよう仕向けることだ。
これが肌感覚として分かるまでは時間がかかったが、我が家の場合、母の認知症に気づいたきっかけが父の死であったため、比較的自然な流れでそれができたように思う。

母は生まれてこの方一人暮しというものをしたことがなかった。父と結婚する前の仕事は全て住み込みだったらしい。
高齢になって初めての一人暮し。それも死別からのスタートだ。
鬱病認知症でなくとも私たち子どもが気にかけるのは当然だ。

まずは生き甲斐が必要だろう。
母の場合それは日本舞踊だ。
若い頃からずっと好きだった躍りを私たち子どもが独立してから本格的に習い始め、名取り試験にも合格している。
躍り教室の月謝は母の年金から見るととても適当とは言えない額であるが、アイデンティティとも言える躍りを取り上げる訳にはいかない。

もう一つは孫だろう。
距離も離れているためそう頻繁には会わせてやれないが、四十九日や新盆が続くこともあり、今まで以上に会わせることができた。
間が空いてしまうときは娘の習い事や幼稚園行事の様子をDVDに焼き小まめに送るようにした。

他にも何かないか。
様々な楽しみを考えた。
私は元々綾小路きみまろが大好きでDVDを持っていたため、母にも聞いてみるとやはり好きだというので持ち帰ったりもした。
後は以前ヘルニアにかかって以来、通っているリハビリだ。すっかり良くなった今もこれが一つの習慣として生活の一部になっており、楽しみにしている。
しかしこれも週二三回。

この時、私は初めて気がついた。
老後の一人暮しはなんと時間の有り余っていることだろう。
世の一人身の高齢者は如何にしてこの時間を埋めているのだろう、ということに。