おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(22)外界に向けての窓口の確保

ケアハウスの計画は頓挫したが、そのときも「社会性を断ってはならない」ということには気を付けていた。
施設が生活の全てになってはならない。
今まで通り躍りの稽古は続けさせてあげたい。社会性を断てばいよいよ廃人のようになってしまうだろう。
だから私たちは外出が比較的自由で、躍りの教室にも通いやすいケアハウスを見つけてきたのだった。

躍りをしているとき、母の自我は満たされる。
実際母の躍りを見た伯母に言わせると、今の母は手もろくに上がっておらず、形がまるで成ってないのだそうだ。
しかし当人にはそれがわからない。でもそれで満足なら構わないではないかと私は思う。

何でもいいのだ。
その人が自信を持ち、他者とふれあい、充足できる時間であるのならそれは優先度が高い。
最近よく読ませていただいているブログでも、毎回認知症のお母さんが趣味としている貼り絵を載せられている。
こういった創作活動も、それ自体が外界に向けて開く窓口の一つだなと思う。

身体が元気なら活発に動くにこしたことはないだろう。
高齢者でもでき、他人とふれあえるスポーツといえばゴルフやテニスだが、それも難しければ太極拳や健康体操といった緩やかな運動もある。
実際母は躍り、リハビリの他にも、週一回の健康体操を楽しみにしている。

高齢者にも様々なタイプがいる。
一人でコツコツ手先を動かすのが好きな人。
長年培った知識や技術を別の誰かに伝えるのが好きな人。
身体を動かし賑やかに笑い合うのが好きな人。
いずれにせよこういった多種多様な趣味や特技を共有できる場が必要だ。これは町や市で取り組むべきだろう。
そしてできれば自分は老後何を楽しみとして継続できるのかといった計画も立てておきたい。