おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(27)終活と死期を悟ること

所有物は機能も色味も派手な趣味は一切なかった父だったので、葬儀のプランは全て中間かもしくはそれより下でよい。
ただ園芸の趣味はあったので、祭壇の周りはなるべく寂しくならないように色とりどりの花で囲もう。
そんな調子で葬儀のプランを決めていく。
料金プランは数万円単位で幅があり、通常の買い物であったら一週間は悩むような価格だが、それも即断していかねばならない。

突然の死だったため遺言もなければましてや生前に葬儀の計画など立てていない。
なるほど「終活」とはこのような事態に向けてしておくものなのだなと感じた。
ただ一つ、この葬儀屋を利用するにあたっての積立金をしていてくれたのは非常に助かった。
私たちが利用した葬儀屋ではいわば保険金のように毎月掛け金を支払う仕組みがあり、実際の葬儀の支払いに利用できることと、それに加えて割引きも適用されることになっていた。

葬儀屋が一旦引き上げ、入れ替わるようにして父のいとこにあたる方が駆け付けた。
父が亡くなる当日、新年の挨拶で会ったばかりだという。
もっと話したそうなのだが、なかなか言葉が出ない様子だったのだそうだ。
母が言うには、その日は朝から歩き方も少しおかしかったという。

父は肝臓に重い病気を抱え、そのための闘病を何年も続けてきた。
それ自体は幾度かの手術を乗り越え完治に等しい状態まで回復したのだ。
しかし数年前から言葉が覚束なくなっていた。
前年の11月頃には段差も何もないところで躓きズボンを破く。
叔母などが病院を勧めるが本人の意思で行かなかったのだそうだ。
今回の死も脳梗塞であったと思われる。

しかし本人がまだまだ生きる気でいたことは間違いない。
実際、一週間後の三連休では孫に会う約束を楽しみにしていたのだし、父の性格からして死期を悟れば身辺整理を欠かさなかったことであろう。
まだまだ生きる気でいたからこそ、病院に行かずとも平気だと思ったのだ。

母から父が最期に掛けていた眼鏡を見せてもらった。
先月、新調したばかりだった。