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おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(30)淡々と、通夜

夕方、出棺。
近所の方々が家から出てきてお見送りをしてくれる。
お向かいの奥さんから「お父さんの育てたお花を見るのが楽しみだったのよ」と声をかけられ、お礼をする。
私以外の親族は葬儀屋のマイクロバスで斎場へ。
私は一人残って火と戸締まりを確認する。
父の最期となった風呂場では切れかけた蛍光菅が明滅している。

電話で手配したタクシーの運転手は母方の実家に所縁がある方だった。
狭い田舎ではこの程度のことは偶然の内にも入らない。
「お正月でこんなに暖かいのも記憶にないですよ」
地元の人でさえ皆こう口を揃えるのが印象的だった。

タクシーはお寺に到着する。
私は住職を出迎え、法具と呼ぶのか、お経を読む際に用いる用具一式を運び後部座席に積む。
代々我が家とは深い関係にある寺である。こことは数ヶ月後にちょっとしたトラブルが生じるのだが、このときはまだ父が大切にしてきたお寺であり、私も父の顔に泥を塗るようなことがあってはと気を遣っていた。

日もすっかり落ち、お通夜が始まった。
正月にも関わらず多くの方に駆けつけていただき、私は母や姉と共に一人一人と挨拶を交わす。
ただその頃は喪主として勤める挨拶のことで頭がいっぱいだった。

家の歴史と土地を守ることに人生を捧げた父。今は大好きな花に囲まれて安らかに眠っていることと思う。
長い読経の間も頭の中で反復した甲斐もあり、滞りなく挨拶は終えた。
しかし他の家族で、涙ながらに言葉を詰まらせながらやっとのことで喋り切る喪主の挨拶を見たりすると、なんと自分の挨拶の淡白なことよと思ってしまう。