おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(31)お墓の修繕

通夜の後、お斎には親族や父母と深い親交のあった方々についてもらう。
私や姉の会社関係者は遠方からはるばる駆けつけていただいたものの、電車の時間もあるため早々と帰られた。

お斎の席。
私は住職の隣であり、何を話したものかと思ったが、生前の父は歴史愛好家であったこと、戒名も本人が一番知りたかったのではないかと言った話から始めた。

住職もお酒を嗜むため話は弾む。
この町にも歴史がある。神社仏閣の中には出雲大社と縁のあるものもある。
その辺りをアピールすれば地域振興に繋がるのに、惜しい。
住職もおそらくまだ四十代といったところ。私たち三十代を含め、町興しは共通の関心事なのだ。
子どもの頃から慣れ親しんだ愛着のある町が寂れていく様子を目の当たりにした世代。

少し間を置き、住職から我が家のお墓を直した方がよい旨を伝えられる。
江戸時代から続く墓であり、風化が進み、彫られた文字も読めなくなっている。
それ自体は私も知っていたが、特に問題があるとも思わず、苔むす様が味があるとすら思っていた。何より父が何もしないということは、そのままにしておきたいということなのだ。
しかし住職が言うには土台が崩れかかっていて、大きな地震に耐えられない。万が一倒れたら隣接する他の家のお墓を傷めてしまう。首の取れたお地蔵さんも何体かある。こういう機会に修復するのはごく自然のことだから考えてくれないか、ということだった。
そこまで言われては無下にすることも出来ない。
修復には一体幾らくらいかかるものか。全く想像もできなかったが、後で考えることだとその場ではわかりましたと答えたのだった。