おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(33)家系のつづきを

昼過ぎに告別式が始まる。
読経の間、お焼香の方々と黙礼を交わす。
地元の同級生も来てくれており、その鼻頭を赤くした顔を見て何だか有り難い思いがした。
娘には読経は長過ぎるため途中で退出させる。
そして通夜に引き続き喪主としての挨拶。
「家と歴史を守って欲しい。それが父の唯一の遺言でした」と昨晩おこもりの部屋で考えたことを述べた。

いよいよお別れのとき。
葬儀屋さんが祭壇の花をカットしてくれたのでそれで父の身体周辺を囲んでいく。
棺の底板には納棺の際に私と姉から、感謝の言葉を記している。それと三途の川の渡し賃だという札を納める。
金属は燃えないので眼鏡は入れられなかった。

余談だが最近はゴルフ好きだった故人のための納棺用の木製ゴルフクラブがあるのだそうだ。さらにはゴルフボールの形をした骨壺まである。
宗教が時代と共に変化し、拡大解釈されていく様は興味深いし、そうあるべきだとも思う。

白、ピンク、黄色。
参列者の手により色とりどりの花々で棺が埋められていく。
どこまで分かっているのか、娘は不思議そうな顔つきで棺を覗き込み、しかし花を飾ることに対しては積極的で、父の顔近くに丁寧な手つきで添えていく。

娘が生まれるまで「早く孫の顔が見たい」というのは決まって母の台詞だった。
父は長い闘病で先が永くないことは覚悟していたはずだ。
それに加えて自ら家系図を編纂するほど家系には思い入れが深い。その家系図が途絶えて欲しくないという気持ちは誰よりもあっただろう。
そんな想いを語ったことは一度たりともなかったが、娘が生まれた日、私はまだ目も開いてない赤ん坊の写真を父にメールで送信しながら、「なんとか間に合った」と安堵したものだった。