おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(34)火葬場への道

棺の蓋が閉められ、釘打ちをする。
これより火葬場に向かいますとの案内に従い、遺族はマイクロバスに、私だけが霊柩車の助手席に乗り込む。
長いクラクションが鳴り響いた。
穏やかな気候は相変わらずだが、やや雲が厚くなってきた。

火葬場までは馴染みの道筋を辿る。
小学生時代の遊び場であったり、高校時代自転車で通学した道であったり。
しかし高校卒業後はすぐに上京したため、すっかり変わってしまった景色に驚くことも多い。
「この道は随分拡がったんですね」
駅の反対側出口の開通に伴い拡張工事された道路を通過時、何となしに呟いた。
「お住まいはどちらなんですか?」
と運転手に尋ねられる。
「生まれはここなんですけど今は埼玉に住んでるんです」
「どおりで。先ほどから随分熱心に外を眺めてらっしゃると思ったんです」

拡張工事の計画が持ち上がった当初、ここまで人口が減ることは予測できなかったのか、予測できたからこそ再開発を進めたのか。複雑な思いがよぎる。

「これから向かう火葬場も、新しくなってから行かれましたか?」
「いえ…あそこも新しくなったんですか」
最後に行ったのは母方の祖母、その前がやはり母方の祖父のとき。
火葬場は祖父のときの印象が強烈に残っている。
亡くなったのが大晦日だったので、火葬の時期も今回とさほど変わらないはずである。
しかし今が暖冬なのか、古い火葬場が特別寒かったのか。
小学生だった私は、従兄弟たちと共にすきま風の入り込む和室の詰所で、震えながらテレビを見て、煎餅をかじり時間を潰したのを覚えている。

今は涙の一つも流さないが、祖父が死んだ日、母は泣いていた。
そう言えば母は五十前後で祖父、つまり実の父親が死ぬまで身近な人の葬儀には出たことがなかったのだそうだ。

車二台がやっとすれ違える狭い坂を登りきり、新しくなった火葬場へと着く。
最期のお経が読まれ、棺は窯の中へ。
火が入り、私たちは一旦斎場へ戻るため火葬場を出た。
いつの間にか、外は視界を遮るほどの豪雨だった。
その雨を境に穏やかな正月は終わり、本格的な北陸の冬が始まった。