おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(37)蝋燭の火が仏花に燃え移った

告別式から一夜明け、今日から限られた時間で葬儀屋への支払いやら相続手続きなど所用を片付けなければならない。
昨日から崩れ始めた天候は回復せず、私や娘などを含めた分の大量の洗濯物は部屋干しするにもスペースが足りず、干したものさえも一向に乾かずといった有り様だった。

慌ただしい朝。
初七日までは仏間に祭壇を設けてお飾りをする。
私たちは分担してお供えものや朝食の支度をしていた。
そんな中、母が祭壇の花瓶に花を活けた。
その直後。
私の視界に煙が立ち上るのが見えた。
蝋燭の火が母の活けた仏花の葉に燃え移ったのだ。
「燃えてる!」
慌てて花の束を取り上げ洗面台に放り込み蛇口を捻る。

花瓶のすぐ後ろは純白の幕が覆っていた。
万一それにまで燃え移っていればただ事では済まなかった。
「火事になるとこだったよ」
蝋燭の火を消し、ややきつめの口調で母を咎める。
ところが本人は「おや」と反応した程度で飄々としている。

葬儀を終えるまでの三日間でも、おかしなところは多々あったが、このことから愈々まずい、と実感した。
最初の内は父が亡くなったことによる喪失感で茫然自失としているのかと思ったが、どうやらそれとも違う。
口では「これから寂しくなるねえ」などと言ってはいるが、日常生活の立ち居振舞いに寂しさは見受けられない。
私たちが今後の相談をしている隣で身体を横たえ、テレビを見ている。
それも見ているというよりもただぼーっと眺めているといった風で、ふと起き上がったかと思うと知人に電話を掛け昨晩のお礼を言ったり、ふらりと外に出て近所を散歩して戻ってくる。

父が死んだショックでおかしくなってしまったのではないか。
到底このまま独りにはさせられないという焦燥を抱く。
そんな想いをまだ打ち明ける前だった。
叔母から、母の鬱病のことを知らされたのだ。