おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(46)ドラマ性を排除した我が家

子どもの頃からずっと、私は父と母の弱いところを見てこなかった。
それは二人が強かった訳ではなく、弱いところを見せなかっただけなのだ。
私はそれを知らず、大人が弱音を吐いたり感情を顕にしたりするのはドラマだけの世界だと思っていた。

ドラマ性の排除。
これが我が家の一風変わった特徴かもしれない。
それは苦しみや悲しみや怒りだけじゃない。
祝い事の一切も、私たちがある程度大きくなった時点で無くなった。
あるいは小さいころ私がテストでいい点を取って誇らしげに見せても、殊更大袈裟に褒めはしない。逆に第一志望校に落ちたようなときも特段慰めるようなこともない。
波風の立たない日常に敢えて非日常的な所作や儀式を持ち込むことが極端になかったのだ。

それだけが理由ではないが、鬱病認知症、介護といった劇的なあれこれは何となく私にとって遠い存在で、だから身近に入り込んできて初めてうろたえたのだ。
これまでがある意味幸せ者だったと言える。

明日も忙しい。
姉との会話に区切りをつけ、二階に上がる。
先に娘と寝ていた妻が目を覚ましたのであらましを話す。
介護の手続きも必要になったと言うと、初七日が過ぎるまで滞在を延期してくれると言う。冬休みも明けるが娘は幼稚園を忌引きで休ませることにした。

まだ先だと思ってた介護が眼前に迫ってきた。
苦労をかけるかもしれない。
ただ、この何も知らずにスヤスヤと眠る娘の寝顔が一筋の希望の光に思える。

23時を過ぎていたが母の部屋からはまだテレビ音が漏れ聞こえてくる。
治まってくれ、治まってくれと心で唱えながら私は布団に潜った。