おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(53)命のバトンを繋ぐ世代

帰宅すると娘はもう今朝買ってもらったジグソーパズルを完成させており、誇らしげに私に見せる。
私も一仕事終えた開放感もあり顔がほころぶ。
トーストを焼き、珈琲を淹れ、皆で少し遅めの昼食をとると私と姉はお互いの情報交換。

やがて母は私にこの後一緒にカメラ屋さんに挨拶に行こうと言う。
父の葬儀の際、斎場の様子を撮影してくれたカメラマンの方で、父の同級生でもある。
当日はお香典だけ戴きそのお返しを渡せていない。
挨拶がてら渡しに行こうというのだ。

支度中、母が棚から生前父が使っていた財布を手に取る。
そこから黙ってお札を抜き取ると、自分の財布に納めた。
それ自体は何の問題もない行為だし私も何も言わなかったのだが、その母の姿から、えもいわれぬ妙な胸騒ぎを覚えた。

仕度を終え出発しようと玄関に向かったところで丁度来客。
昔、我が家の隣に住んでいた、私と姉の幼なじみの女性だ。
小さい頃の記憶しかないだろうが、わざわざ父に線香をあげに来てくれたのだ。
同じ頃もう一組。私の親友の同級生が子どもを抱きかかえてやって来た。
私と同じく今は地元を離れて暮らしているが、丁度年末年始で帰省中、告別式にも参列してくれた別の親友から父のことを聞き駆けつけてくれたらしい。
一年ちょっと前に子どもが生まれたことは聞いていたが対面するのは初めてだ。
一歩違いでこの二組の来客とすれ違うところだったので運がいい。

友人の子はまだよだれ掛けが必要な一歳児。私も娘を呼び近くに座らせる。
聞けば友人もこの二、三年は大変だったらしい。
転勤のための引っ越し。同じタイミングで奥さんの身内に立て続けに不幸があった。出産後、今度は友人自身のお父さんが身体を壊す。
お互い色々あるねなんて話ながら、確かに近頃は友人周りの出産ラッシュも一段落して、替わりに喪中葉書を受け取る機会が増えてきたななんて考えた。
流石にそれぞれの親よりは祖父母であることの方が辛うじて多いが。

30代はそうゆう世代だ。
片や祖父母を看取り、親の老後を考え、その一方で次の世代のことを考える。
命のバトンを繋ぐための狭間の世代だ。