おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(54)たった一枚の家族写真

カメラ屋までは歩いて向かう。
元来母は歩くペースがそれほど速くないので歩調を合わせる。
道すがら、母は目に入る一軒一軒に対して説明を添えていく。
このお宅は我が家の遠縁であるといったような今さらな話から、ここは知り合いの誰それさんが住んでいたが昨年引っ越してしまったといった近況まで様々だ。
それはまるで自身の記憶をなぞっているようでもあった。

カメラ屋に到着すると店舗の奥から主人と奥さんが顔を出し、母は葬儀の際のお礼をする。私からは香典返しの紙袋をお渡しする。
小さなパイプ椅子に座りお茶を頂いた。
こじんまりとした店舗で、かつてはそこに数々のカメラや機材が陳列されていたはずだが、今はほとんど空のショーケースがあるだけだ。
「近頃は現像の仕事もやめて、ああやってお葬式の時に声が掛かると撮影に行くんです」
といっても例の葬儀屋の専属というわけではなく、あの日はたまたま、同級生である父の式の担当になったのだそうだ。

店舗は開店休業といった状態だがそれでもカメラマンとしての職を続けられるというのは健康な証だ。
それに仮にご主人が若かったとしても、私の父のように高齢者でさえデジカメを持ち、データはパソコンに取り込み、自前のプリンタで印刷する時代だ。
フィルムを売ったり現像したりといった町のカメラ屋さんの仕事はどこも厳しいだろう。

「昔ここの二階で家族写真を撮られたでしょう。あなたの小学校入学の記念です。私が撮ったんです。昨日のことのように覚えてますよ」
確かにその写真なら見たことがある。大判に引き伸ばして額に入れてあったはずだ。家のどこかにあるだろう。
着物を着た母が椅子に座り、父、姉、私は正装して立っている。
当時の記憶はほとんどないが、ジャケット、ネクタイに半ズボンと白のハイソックスという出で立ちが子どもの私にとってはちぐはぐで窮屈で、とても嫌だったことを覚えている。セピア色の記憶だ。

「家族四人で写ってるのはあの写真一枚なんです」
と母が言う。
ああ、言われればそうかもしれない。
家族旅行のようなイベントでも父はいつも撮影者に徹していた。
私の結婚式のときにはもう家族も増え親族も一緒だ。
たった一枚の四人だけの家族写真。
そのことがすらっと出てくるくらい、母にとって思い入れのある一枚だったのだ。