おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(55)母の幼なじみ

私と母はカメラ屋さんを後にし帰路につく。
正月明け早々とはいえ、町の商店はどこも閑散としていた。
花屋の前には軽トラックが停まり、エプロン姿の若い女性店員が重そうな鉢植えを荷下ろししている。
過疎化の進むこの町で、若者はどんなことを考え日々暮らしているのだろう。
郊外の大型パチンコ店は人気だし、夜になれば酒場は活況を呈する。
しかしそのような享楽に浸れない者も少なくないだろう。

私は長男にも関わらずこの町を出た。
その経緯はまたいずれ書きたいと思うが、私とは違い、この町に残った同世代やそれより若い世代には多少の後ろめたさが拭えない。

ある床屋の前を通りかかったとき、突然母が寄っていこうと言い出した。
「え、でも前もって伺うこと言ってないでしょ?」
構わない、といった風に店の扉を開ける。
誰もいない薄暗い店内であったが、自宅入り口とは異なる店舗側のドアが開いていたということは営業中のようだ。

「ごめんください」
母の声で住居となっている奥の部屋からご主人が姿を見せる。
中学生の頃まで私もここで髪を切ってもらっていたので懐かしの店内とご主人だ。
他のどの理容師さんよりも手捌きが鮮やかであっと言う間に仕上がる。それでいて丁度好みの長さになるので、私はこのご主人が担当だと「アタリ」と感じていた。
当時は若々しい印象だったが今は年相応といった風貌だ。

待ち合い用のソファーに腰を掛けると母は毎度そうしているように、新年の挨拶と父が亡くなったこと、原因はお風呂で「眠ってしまった」ことを伝える。
この伝え方もまるで判で押したかのようで、感情を籠める箇所も毎回同じだ。
ご主人も大変驚き、お悔やみの言葉と、これから寂しくなるねえと気遣いの言葉をかけて頂く。

「ご主人とは幼なじみなの」
母が私に説明する。
既知の事ではあったが、きっと昔話をしたいのだろうと察し、話を合わせた。
「母さんの実家が確か、ここのお隣だったんだよね」
私の相槌をきっかけにご主人も昔のことを懐かしんだ。
「子どもの頃はよくお母さんたち姉妹と遊んだんだよ。一緒にお祭りに行ったりしてね」