おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(58)待合室とワイドショー

午後からはいよいよ母の心療内科の受診だ。
元々月二回の受診日の内の一日ではあったのだが、主治医は他の診療所とかけ持ちであるため週に一、二回ほどしか顔を出さない。
この日を逃してしまえば私も姉も仕事復帰してしまう。
何としてもこの日、主治医に母の症状の全てを伝えねばならない。そして介護認定が下りるよう意見書を書いていただくことをお願いするのだ。
私と姉は前の晩にこちらから伝えることと、逆に先生から聞くことを打ち合わせの上まとめておいた。診療所にも事前に電話で、家族から少しお時間を頂きたい旨を伝えておく。
準備は万端、私と姉はいつもお世話になっている先生に挨拶するという名目で母に付き添った。

診療所に着くと待ち合いスペースは満席に近かった。
中には高校生くらいの若者もいる。
人口減少に歯止めの効かないこの町で、心療内科が混雑している。老若男女が心に問題を抱えている。
現代の縮図をまざまざと見せつけられた気がした。

待合室のテレビではワイドショー。
当時の話題と言えば目下女性タレントの不倫騒動一色だ。
どの局もこぞって連日同じ話題の繰り返し。
ここまでメディアが賑わうのはその情報に需要、価値があるということだ。
華やかな芸能界の裏側を覗き見る万能感。不貞の糾弾という正義の鉄槌を堂々と振り下ろせることの爽快感。多くの視聴者よりも遥かに収入を得ているであろうスターがカメラの前に晒され涙ながらに頭を下げる姿に溜飲を下げる。
ある種の人たち、というよりはおおよそ日本人の平均を抽出するとこういったゴシップをお手軽な娯楽として消費できる層が浮かび上がるのだろう。
メディアは真摯な面してあたかも中立的な報道の体を装ってはいるが、映し出しているのは紛れもないエンターテイメントだ。

私はそれを放心状態で見つめる。
このような軽忽な「娯楽」に興ずることができるのは精神的余裕がある証である。
その時の私は母の今後で頭が一杯で、言うならばやや伸びた髪の毛すら煩わしいと感じていた。
雑念を振り払い悟りを開くため僧が剃髪する理由はこういうことかと少し解った気がしていた。