おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(59)眠れぬ苦しみ

順番が来て診察室に入る。
主治医は母と一緒に私と姉が来ることは事前に受付から聞いていたはずだがそれには触れず、初対面の挨拶を交わす。
父が亡くなったこと、今日の目的は介護認定のための意見書を貰うことも改めて話す。
普通であれば医師との話があまりにスムースに運ぶことや、なぜ外科医ではなく心療内科医の意見書なのかといったことを疑問に思うところだが、母はそのことに対して全く触れない。
最初の内、母は私たちが陰であれこれ立ち回っていることに実は気づいていて、わざと触れないのかと思ったが、次第に本当に気づいていないのだ、物事に対し疑問に思うことがほとんどなくなっているのだということが分かってくる。

医師の診察はさすが専門だけあり、再開した躍りの稽古は楽しいですかといった、母がリラックスできる話題から入る。
そして足腰がふらつく件について。
医師の見解では、睡眠導入剤の飲みすぎが原因でしょうとのこと。
もちろん眠れないから飲みすぎるのだということは分かった上でのことだ。
だがそれを責めるのではなく、あくまで飲んだことを忘れてしまうのだということにして「その日飲む分だけを寝室に持っていくようにしましょうね」と優しく諭す。

「眠れないと辛いですか?」と医師。
「もうなんとかして欲しいと思います」
私たちにはけして見せない弱みを、この医師になら心を開いて何でも話すのだな、この医師を頼ろう、とその時思った。
「眠れないからってね、別に死ぬ訳じゃありませんよ。そうゆうときは無理して眠ろうとするんじゃなくて、そのうち眠くなるのを待つんです」

私は不眠症ではないが、眠れない苦しみはよくわかる。
小学生の後半から中学を卒業する頃まで、私は自宅以外では全く寝つけなかったのだ。
修学旅行やキャンプに行くと、周りの友達が早々に全員眠ってしまい、私一人が暗闇に取り残される。
深夜になり、そろそろ寝ないと明日が辛い、早く寝ないと、と焦れば焦るほど目は冴えていく。
ひたすら長くて、孤独な時間。
やがて夜が白けていく。
その頃になって漸く、眠りに落ちるのだ。

ホームシックだとか、逆に興奮しすぎてとかいった自覚はまるでなく、今日は疲れてるから眠れるだろうと思っていてもやはり駄目なのだ。
しかし自宅ではそういったことはないので、やはり思春期特有の、深層心理にある何かが私を不安にさせていたのだろう。
電車であろうが一分もあれば眠れる今となっては考えられない。

それにしても母のケースだ。
医師の言う通り、眠れなければ起きていればいい。無理に苦しむことはない。特別外せない用事もなければ昼夜が逆転してしまってもよいではないかと思うのだが、そういった柔軟な気持ちの切り替えが出来ないからこその鬱病なのかもしれない。
あるいは母に限って言えば、人間は必ず夜寝るものであり、昼間に寝てはならないといった刷り込みのようなものもある気がする。