おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(62)伯母のこと

心療内科から帰宅し、私と姉は伯母の家へと向かった。
父には姉と妹がおり、葬儀の際に忙しく立ち回ってくれたのは妹(叔母)の方。
だが距離的に我が家から近いのは姉(伯母)の方なのだ。

伯母も当然高齢だ。近年は大きな手術もしているし、補聴器が必要な程耳が遠くなっている。
だから葬儀の準備はあまり頼るわけにはいかなかった。
しかし母のことは知っておいてもらわねばならない。
私たちは伯母の家で、葬儀の後から先程までの出来事を洗いざらい話し、私たちがいなくなってからヘルパーさんに来てもらえるようになるまで、母の薬の管理をしてもらえないかとお願いした。
伯母は快諾してくれた。
のみならず私たちの心労を気遣ってくれ、あまり心配しなくてもよい、こっちには私たち姉妹がいるからと言ってくれる。

二人の伯母、そして父の三兄弟は若くして両親を亡くし、経済的にも大変苦労してきたそうだ。
そのためか三人とも芯が太く、負の感情を表すことが全くない。
「伯母さんのこと、誤解してたかもしれない」
姉は後で私にそう話した。
それは私も同じだった。
私も姉も小さい頃伯母からは事ある毎に小言を言われた記憶が根強く、何となく避けていたところもあったのかもしれない。
大人になってからは、それは私たちのことを思ってのことだったことは解るのだが、今度は耳が遠くなったがためにコミュニケーションがとり辛くなったのだ。
しかしだからと言って判断能力が衰えているわけではない。
実際は私たちを気にかけてくれる、頼りになる存在だったのだ。

そしてこの先、伯母には大変な苦労をかけることになる。
近所からの母の異常な行動は全て伯母の耳に届き、その都度母を注意しにいく。
ここにも一つ問題があった。
伯母は認知症という病気を、うわべでは理解していても、言い聞かせてどうにかなるものではない、という点がどうしても理解できないようなのだ。
そのため二人の関係性に軋轢が生じる。
しかし伯母は責められない。
母や私たちのことを考えてしてくれていることなのだし、この感謝は忘れることはない。
本人も表面には出さないが心労が蓄積していることだろう。
そんな伯母を少しでも楽にするためにも、母の施設入居の準備は進めないといけないと思っている。