おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(63)選ばなかった方のシナリオ

翌日は金曜日。
平日の内に私と姉は役所や金融機関を回らねばならないため、妻にはその日まで居てもらい、家事を任せることになっていた。
この間、娘にとってはよほどストレスであったことだろう。
大人には相手をしてもらえず、友達もいない。天候不順で外でも遊べない。自宅であればオモチャや絵本もたくさんあったが、ここまで長居することになるとは思わなかったため、持参した絵本やDVDにも飽きてしまった。
家の中でも大声を発し駄々をこねるようになってきているが、無理もない。

私は銀行へは午後に行くことにし、娘をボルダリングで遊べる屋内施設へと連れて行った。
よほど嬉しかったらしく、黙々と壁をよじ登り、失敗してはまた挑戦する。
工作のように手先を使う遊びよりも、身体全体を使った遊びが好きなのだ。
私とは正反対なので妻に似たのかもしれない。

思えばその一週間後、本来の帰省を予定していた。
年末年始は新幹線の座席が取り辛いこともあったが、何より私は運動が大好きな娘に雪遊びをさせてあげたかった。
私の地元は例年正月付近で雪が積もるのだが、近年は温暖化のためか降らないこともある。実際、その時点で雪は降らなかった。
時期を少し遅らせ、成人の日がある三連休なら積もるだろう。万が一積もっていなければスキー場まで足をのばせばいい。父も母も連れて行けば喜ぶに違いない。
帰省の時期をずらしたのは私の判断だ。

もしも一般的な家庭のように年末に帰省していれば、父は最期に孫の顔を見られたことになる。
だが私は「もしも」の話はあまり好きではない。
運命の歯車なんてほんの些細なことで変わるのだ。今までも「もしもあのとき一本早い電車に乗っていたら」とか「もしもあのとき一本の電話を入れなかったら」といった分岐点はいくらでもある。
だがその選ばれなかった方のシナリオの行方は誰にもわからないのだし、仮に違う選択をしていても最終的には似たような結果に終着するのではと思っている。
それにそんなもしもを言い出したら、娘は父の死の瞬間に居合わせることになったかも知れず、それが娘のその後の成長にどう影響を及ぼしたかもわからない。

もしもあの時ああしていれば、は考えない。その道を選ばなかったのは何より自分自身なのだからそれは必然だ。
母の介護に関しても、同じ失敗は繰り返さないようにはするが過ぎてしまったことはそう割りきっている。