おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(67)雪に覆われた町

ドス、ドスと鈍くて低い音が断続的に、夢見心地に聴こえてくる。
懐かしい感覚だ。
昨晩の内に降り積もった雪が屋根から滑り落ちる音である。
その重厚な塊は木造の我が家を僅かに揺らすほどの振動をもたらす。
もう少し寝ていたいが不規則な周期で眠りの海から引きずり出される。

娘が帰る最終日、ようやく雪が積もった。
私は娘を起こすと窓を開け、一晩の内に一変した真っ白な景色を見せる。
初めて見る雪ではないが、元々今年の帰省はこれを楽しみにしていたのだから喜びも一潮だ。

居間に降りると母は既に起きていてお茶を淹れている。
「昨日は眠れた?」「うん、よく眠れた」
不眠症の話を聞いてから毎朝確認するのだが、必ず同じ答えが返ってくる。
相変わらずテレビの音は夜遅くまで大音量で聴こえてくるし、夜中に何度もトイレに起きてきているのも知っている。
心療内科に付き添ってからもなお、母は私たちに対して強がるのだ。

朝はお茶を飲みながら新聞に目を通す。
その後仏壇を開き過去帳を捲る。
過去帳には先祖代々の命日毎に戒名が記されている。
一連の動作を遠巻きに観察していた私は、次に母が線香を探す仕草を見せたのを見逃さなかった。
昨日母も合意の上で片付けたのだが、やはり一晩経つともうそのことも忘れているのだろうか。

その日は外科でリハビリの予定がある。
毎日に張りが出るのか、前の日から楽しみにしているくらいだ。
しかし気持ちが先走るのだろう。
日時を正確に把握できていないのだ。

姉は母の親友に病状を伝えるため電話を入れていた。そこでこんな話を耳にする。
父の生前、病院の送り迎えはいつも父がしてくれていたのだが、その日は父の都合が悪かったのか、親友に車を頼んだのだという。
ところが病院に着いてみるとその日は予約の日ではなかったのだそうだ。
親友にしてみればたまたまお願いされた一回でこの失敗だ。
ということは父にしてみれば、母の日時把握能力の無さは日常茶飯事になっていたのではないだろうか。
日付は毎朝過去帳で確認しているはずだし、日捲りカレンダーも日課となっている。月間のカレンダーの方にも予定は書き込んである。
それなのにこの手の間違いが目につくのは、単に忘れっぽくなっただけではないだろう。
注意力よりも衝動が先走っているように見えるのだ。

身支度を整えて母と姉の3人で家を出る。
雪に覆われた静寂の町。
新雪に足跡を残していく。
日光が反射し目も眩むような道のり。
視界は定まらない。

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