おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(70)「ここから、長いですよ」

「まだら痴呆であるかもしれません」
と医師は言う。
ただし彼は外科医であり、専門の診察をしたわけではないのであくまで参考意見の域を出ないのであるが。
「まだら痴呆」とは脳の血流が悪くなることによる認知症の一種で、アルツハイマー型とは異なるらしい。
第三者の口から「痴呆」あるいは「認知症」という言葉が出てきたのはこれが初めてだったが、私からするとそれは想定内の回答だった。

「施設入居も考えた方がいいでしょうか」
事前に姉と打ち合わせてきた質問をぶつける。
これに対して、医師は懐疑的だった。
当院でも介護老人保健施設を併設しているが、これはあくまで治療目的で患者さんが入院し、在宅復帰を目指すものだ。
今のお母さんの症状は軽度と言えるため受け入れてもらえないだろう。
それに精神が不安定なときに生活環境が急変するのは本人にとってもよくない。
医師の見解はこうであった。
私たちは当初の計画通りしばらくはホームヘルパーを付けて経過を見ますと言い残し、診察室を辞した。

次に母の様子を見にリハビリセンターへ。
母は片腕を水中につけ重りを握り持ち上げるリハビリの最中だった。
昨年階段から落ち骨折した手首のリハビリと思われる。
その他、センター内にはスポーツジムにあるような自転車や、重度の患者が利用するのであろう歩行器具などが充実している。母はこの自転車が何より気に入っているらしい。
もうしばらくかかるというので私と姉は一旦待ち合いロビーに向かう。
入り口で母の担当だという若い医師に挨拶をする。

ロビーで壁に貼られたポスターを眺めてていると、今日はもう上がりなのであろう、先程の外科医が笑顔で近づいてくる。
リハビリ、ご覧になられましたかという会話を交わす。
去り際に、医師の一言。
「ここから、長いですよ」

悪気がないのは百も承知だ。
頑張んなさいよ、と向けた笑顔だ。
だが私はその時の外科医の笑顔が、悪魔の笑顔に見えた。
何となく、うっすらと感じていた介護の真実を、眼前に突きつけられた気がした。
これから多くの時間とお金を費やすだろう。そして何より、じわじわと悪化していく肉親の病状を見続けなければならないのだ。
お前にその覚悟があるのか、と。