おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(77)実家を後に

荷造りをしていると叔母がやって来る。
母のことをまとめた手紙を渡すため前もって連絡しておいたのだ。
「どう?ちょっとは落ち着いてきた?」
叔母は事情を知った上で母に笑顔で接してくれる。
「まだ父さんが死んだって実感がわかないねえ」
居ることが当たり前だった毎日が突然終わったのだから無理もない。
「一度思いっきり泣いてみるといいよ」
叔母もまた数年前に息子さんと旦那さんを立て続けに亡くしているが、息子さんのことはまだ気持ちの整理がつかず、今でも時折思い出しては一人泣いているのだという。

確かに泣くことができたら、気持ちは幾分か軽くなるだろう。
ヒトは泣くことで辛さを和らげる脳内物質が分泌されるとも言う。
しかし母はまだ父が死んだことを受け入れきれていないのだろう。
この十日間、表情は固いままだ。
「父さんの植木を毎日世話したらいいんじゃない?」
日課となる役割があれば少しは日々に張り合いが出るのではと思い、私も極力明るく振るまい、そう提案する。
「そうだねえ、そうする」
母は答えるがいまいち声に張りがない。

「じゃあそろそろ、行くから」
こっそり叔母に手紙を渡すと、荷物を担いで腰を上げる。
「うん、色々とありがとう」
葬儀や相続などの手続きを子どもたちが全部やってくれたから本当に助かった。自分は何もしなくてよかったと母は伯母に話した。
「また相続の手続きですぐ来るよ」
元気で、とかは何となく違う気がしたのでまたすぐに来るよ、という言い方にした。

各種手続き、介護申請、お墓の修繕、四十九日の準備、母の独り暮らしのためのアレコレ。
目に見えているタスクだけでもまだ半分も終わっていないが、優先順位を決めて一つずつ片付けていくしかない。
しかし一旦は二人の伯母にバトンタッチして休憩だ。
心配は尽きないが一先ずこの開放感を味わってリフレッシュしないことには先に進めない。

帰りの新幹線。
平日であったこともあり自由席も空いていた。
売店で買ったおにぎり。ビールが胃にしみ渡る。
トンネルに入り背もたれに身体を預けると、ボロ雑巾のようにくたびれて眠った。