おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(28)父と朱鷺

父が亡くなったのは元日の夜だったのでどうなることかと思ったが、翌三日にはお通夜を営むことが出来た。正月休みの真っ只中で弔問の方には大変申し訳なくはあったのだが。
近頃の都会では火葬場が空かず、亡くなってから一週間近く待たされるケースもあるそうなので、その点では速やかに執り行うことが出来たといえる。
また、田舎なので訃報は新聞の地域欄に掲載され、知人はそこで知ることが多い。しかし正月の三が日。土日とも重なったため掲載はいつになるか分からない。
絶えず訪れる弔問客の合間に、母は報せるべき相手に電話をかけた。

まず新年の挨拶をし、続けて父の死を伝える。その際、死因は「お風呂で寝てしまった」のだと言う。
確かに医師から伝えられた死因は心停止であった。しかしそれまでの父の様子や、死亡当時鼻血が出ていたことから、ヒートショックによる脳梗塞なのは間違いないようだ。
母はもしかしたら前兆に気づけなかったこと、あるいは無理矢理にでも病院に連れて行かなかったことを悔い、寝たことにしたいのかもしれない。
私たちはそれを気遣って死因に関しては特に口を挟まないままにしておいた。

やるべきことは尽きない。
遺影の写真。
これは前年に私たち家族と並んで撮影した一枚にした。
父はカメラも趣味で基本的に撮影者に徹することが多いため本人が写っている写真は少ない。
しかしこの一枚は孫と一緒にいるときの自然な笑顔で、弔問の方からもいい写真ですね、と声をかけていただくことが多かった。

斎場には遺影の他にも、思い出の品や写真を並べることができると言う。
これも孫を抱いた写真。
父が育てたサギソウの鉢植え。
そして朱鷺の写真。
数年前に佐渡で繁殖に成功し放鳥した内の一羽が地元に飛来し、父は同じく愛鳥家の方とそのポイントに出向いては、粘り強くシャッターチャンスを狙っていた。他の人に知られ大挙されては寄り付かなくなってしまうため、そのスポットは秘中の秘であったのだそうだ。
拡大プリントされ額に収められたその一枚は、飛び立つ寸前の真っ白な朱鷺を捕らえたものだった。