おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(61)「世間体」が残った

医師はカルテに目を通しながら母の来院歴を私たちに教えてくれた。
最初に鬱病と診断されたのが3年2ヶ月前。医師はその原因となった伯父の病気のことも知っていた。
抗鬱剤を処方したところ、最初の3ヶ月で改善が見られた。
そこからは量を調整しながら、それは前年の九月まで続いたという。
躍りの稽古を再開したのが十一月なので、本人にとっても幾分か気持ちが楽になったのであろう。
その矢先に父が死んでしまった。
ここ1ヶ月くらいはうつの症状がまた顕れるかもしれません、と医師。

介護認定の件に関しては、意見書は書くが、近年は高い介護度はなかなか認定して貰えないのだと言う。
特に母の場合、他人と話す際の受け答えがしっかりしている。
これは気が張っているからだ。
きっと調査員との面談の際も、自分は悪いところなどない、何でもできると答えてしまうだろう。
介護認定は下りても、一番下の「要支援1」ではないか。
医師は私たちにこう話した。

この医師は母が他人に弱みを見せない性格であることまで見抜いている。
私ですら気づかなかったのに。
多少のトラブルでは深刻にならない、楽観的な性格だと思っていたのに。
それは母の本当の姿ではなかったのだ。
母はあくまで平常を装っていただけなのだ。

次第に家事が出来なくなっている今でも、必ず毎日化粧をし髪型を整える。
父の葬儀の後も誰それさんにお返しはしたかとしきりに義理を重んじる。
判断力が低下し、表情がなくなり、それでも世間体を気にしている。
ここに母という人物の核心がある気がする。
悩みや不機嫌な感情は内に秘め、他者には快活に振る舞うことが身体に沁みついているようだ。
そうして心に負担をかけ続けたがために、高齢期に入りついに鬱病を発症してしまったのではないか。

長年に亘り接客の仕事をしてきたことも関係しているかもしれない。その他にも私が知らないだけで、多少見栄を張ってでも気丈に振る舞うことで世渡りする術を身につけることになった過去があるのかもしれない。
棒倒しのように周囲の砂が削られふらふらになろうとも、なお世間体を保とうと、母は今も気を張っているのだ。