おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(69)椎間板ヘルニアと担当医

母の担当の外科医は先日の心療内科医と同様複数の医院掛け持ちであるため、診察は月に一度だけ。
やはり高齢者ばかりの待ち合いロビーで順番を待つ。
母は「トイレに行ってくる」とソファを立つ。その際財布の入った小さな手提げバッグはソファの上に置き去りだ。
私たちが居たからのことかもしれないが、置き引きは充分に考えられるからこれもまた注意せねばならない。
それとバッグの中が手帳や不要なレシートで一杯で、やっとボタンを留められるという状態なのも気になる。何かを取り出すときに別の何かを落としてしまう危険性が高い。

順番が来て診察室に入る。
「あれ?新年のご挨拶?」
母の後ろから私と姉が入ってきたのを見て医師が驚く。事前に聞いていた通り、笑顔が多く明朗な雰囲気の医師のようだ。
母が「実は先日…」と父が亡くなったことを伝える。
「ああ、そうなの。それは残念でしたね。そうかあ、今日は色んな人が来るなあ。五日前に不審火で家が燃えちゃった人とか…」
あ、あれか。と私はおこもりの部屋で聞いた消防車のサイレンを思い出した。

医師は母の足がふらつく容態を聞くと、じゃあ次にレントゲンを撮って下さいと母をレントゲン室へいざなう。それが終わればそのままリハビリだ。
すかさず私と姉は「少しだけ時間をいただけますか」と医師を引き留める。
何か察したような表情を一瞬浮かべ「今日はもうこれで最後だから大丈夫ですよ」と医師。

「実は母が鬱病で…」
「ええ、そうですね」
そのことは外科医である彼も知っていた。続けて薬物依存症と診断されたこと、父が死んでから様子がおかしいことを伝える。
「足のふらつきが薬のせいというのは合ってるでしょう」
医師は4年前、最初にヘルニアと診断されたときにMRIで撮った写真を私たちに見せながら説明する。
私は椎間板ヘルニアという病気のことをあまり知らなかったのだがその写真を見て怖さを知った。
軟骨の一種である椎間板が正常な位置からずれて神経系である脊髄に突き刺さっているのだ。
これにより痛みや痺れといった症状が顕れるという。
母は飛び出した骨を削り隙間を埋めるという手術をし、それは成功している。
術後の経過を見るに、今はもうすっかり骨は安定しているのだという。
「お母さんの腰はもう、ほとんど治ってますよ」

(68)バスの乗り降りも覚束ない

雪道を考慮し余裕を持って家を出たためバス停には早目に到着する。
前の日に私は市が発行する高齢者用の半年間有効フリーパスを購入し、それをパスケースに入れて母に渡してあった。
バスの営業所にも赴き、そこで路線図と時刻表も入手していた。

営業所の駐車場には運行前のバスを整備している運転手が一人。
時刻表を貰いたいのだがと話しかけると、たった一人の所員しかいない、それにしては広すぎる事務所に通される。
達磨ストーブ、使い古したデスクやスチール製のロッカー、今も現役で使われている黒板。
昭和で時間が止まったようなその空間は趣があった。

最寄りのバス停から病院まではバスで片道10分もかからない。しかし系統は二種類ほどあるため行き先表示には気をつけなければいけない。
私は病院から指定されることの多い時間に合わせて乗るべきバスが分かるよう時刻表に蛍光ペンを引き台所の壁に張っておいた。
行き先さえ間違えなく乗れば「次は○○五丁目」という車内アナウンスの後で降車ボタンを押し、フリーパスを運転手に見せて降りるだけだ。
事前に母にそう説明すると、何てことはない、一人でできると言う。
しかし今日は初日だし、お世話になっている先生にも挨拶がしたいからと言って着いてきたのだ。

定刻通りにバスが到着し乗り込む。
車内は充分にすいている。
母はもう何年も路線バスなど乗っていないはずだ。
「一人で降車ボタン押してみて」と言い残し私は母のすぐ後ろの座席に座り様子を見守る。

乗車時間は短い。
「次は○○五丁目」
アナウンスがあるが母は動かない。
「母さん、次だよ」
後ろから声をかけると反応するのだが、今度は降車ボタンがどれだか分からない。
「これ」と指し示すと、まごつきながらようやくボタンが押される。
降りる際のフリーパスは見せることが出来た。

後ろから見守っていた限り、乗車中は終始そのフリーパスを握りしめていた。
つまり母はこのパスを見せることだけに集中し、降車ボタンのことが頭から消え去ったのではないか。
この数日間で幾度となく目にした、一つの関心事以外に注意を払えなくなる現象だ。
やはり今から新しいことを覚えるのは難しそうだ。
しかし一人で乗ってもらうようにならなければ、またお友だちの車をあてにしてしまうだろう。
こればかりは練習で慣れてもらうしかなさそうだ。

(67)雪に覆われた町

ドス、ドスと鈍くて低い音が断続的に、夢見心地に聴こえてくる。
懐かしい感覚だ。
昨晩の内に降り積もった雪が屋根から滑り落ちる音である。
その重厚な塊は木造の我が家を僅かに揺らすほどの振動をもたらす。
もう少し寝ていたいが不規則な周期で眠りの海から引きずり出される。

娘が帰る最終日、ようやく雪が積もった。
私は娘を起こすと窓を開け、一晩の内に一変した真っ白な景色を見せる。
初めて見る雪ではないが、元々今年の帰省はこれを楽しみにしていたのだから喜びも一潮だ。

居間に降りると母は既に起きていてお茶を淹れている。
「昨日は眠れた?」「うん、よく眠れた」
不眠症の話を聞いてから毎朝確認するのだが、必ず同じ答えが返ってくる。
相変わらずテレビの音は夜遅くまで大音量で聴こえてくるし、夜中に何度もトイレに起きてきているのも知っている。
心療内科に付き添ってからもなお、母は私たちに対して強がるのだ。

朝はお茶を飲みながら新聞に目を通す。
その後仏壇を開き過去帳を捲る。
過去帳には先祖代々の命日毎に戒名が記されている。
一連の動作を遠巻きに観察していた私は、次に母が線香を探す仕草を見せたのを見逃さなかった。
昨日母も合意の上で片付けたのだが、やはり一晩経つともうそのことも忘れているのだろうか。

その日は外科でリハビリの予定がある。
毎日に張りが出るのか、前の日から楽しみにしているくらいだ。
しかし気持ちが先走るのだろう。
日時を正確に把握できていないのだ。

姉は母の親友に病状を伝えるため電話を入れていた。そこでこんな話を耳にする。
父の生前、病院の送り迎えはいつも父がしてくれていたのだが、その日は父の都合が悪かったのか、親友に車を頼んだのだという。
ところが病院に着いてみるとその日は予約の日ではなかったのだそうだ。
親友にしてみればたまたまお願いされた一回でこの失敗だ。
ということは父にしてみれば、母の日時把握能力の無さは日常茶飯事になっていたのではないだろうか。
日付は毎朝過去帳で確認しているはずだし、日捲りカレンダーも日課となっている。月間のカレンダーの方にも予定は書き込んである。
それなのにこの手の間違いが目につくのは、単に忘れっぽくなっただけではないだろう。
注意力よりも衝動が先走っているように見えるのだ。

身支度を整えて母と姉の3人で家を出る。
雪に覆われた静寂の町。
新雪に足跡を残していく。
日光が反射し目も眩むような道のり。
視界は定まらない。