おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(65)仏壇屋の便乗商法

次に私たちがしたことは家から火気を極力遠ざけること。
良くか悪くか、母はフライパンを使う料理はほとんどしなくなっていたため、火を扱う機会は減っている。
しかし好きな煮物料理はまだたまにするようだ。これはグリルと同じく取り上げるわけにはいかないので安全装置つきのガスコンロに買い替えることとする。

後は薬罐だ。
朝晩お茶を淹れて飲むのでおそらくこれが最も使用頻度が高い。
これに関しては、電気ケトルの方がすぐに沸いて便利だからと説得に成功。

そして一度胆を冷やした仏壇周り。
住職から許可を得たからと、蝋燭、線香、マッチ、ライターは全て片付けることを母に進言。
母は笑いながら、そんなに心配しなくても大丈夫だ、でもそんなに言うのなら好きにすればいいと言う。
しかし心配の域などとっくに出ている。これは再発防止策なのだ。
この理解の差が私たちをより深刻にさせる。
こうして薬罐と仏壇周りの火気一式はこっそり伯母の家に預けることにした。

ところが私たちが全員、買い物やら何やらで出掛け母を家に一人にした隙のこと。
帰宅してみると仏壇の前に、隠したものとは違う線香の箱が置いてあるのだ。
聞くと私たちが不在の間に、地元では大手の某仏壇屋を名乗る男が来訪し、父の霊前にお線香を上げたいと言ってきたらしい。
どう考えても新聞のお悔やみ欄を見てきた飛び込み営業で、弔問客とは違う。

まだ正式な弔問客からはお香典を頂くこともあり家に現金を置く機会が多いのだから、知らない人は家に上げないように注意してきたにも関わらずだ。
帰宅時には仏壇屋が火をつけた線香は既に燃え尽きた後だった。
心を病んでも世間体の残った母には、善意の顔して近づく便乗商法の訪問販売には格好のターゲットというわけだ。
幸いその日は名刺を置いていっただけで判子を押すなどの契約行為はなかったものの、また新たな危機が明白となった。

それにしてもその仏壇屋には怒りを覚える。故人と面識もないくせに「この度はお悔やみ申し上げます」などと神妙な顔つきでやって来たのだろう。
目的は故人を偲ぶことではなく、己の商材を売り付けるためだ。
遺族の感情に土足で踏み込んでくるばかりか、あわよくば判断力の鈍った年寄りを騙くらかして高額な商品を売り付けようという魂胆だ。
ましてや初七日が終わったばかりで仏壇周りに蝋燭や線香の火気の一切が見当たらないのが何を意味するのかもわからないとでも言うのか。
人の死別に最も近い商売をしておきながら人の死と高齢化につけこんだ営業活動をせねば成り立たないようであれば、そんな会社は無くなればいい。