おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(72)信頼関係が崩れていく

ヘルパーさんに来てもらえるようになるまでは母を極力一人にしないようにせねばならない。
姉は関東に済む母の妹さんに連絡を入れ、母の状態を説明し何日か一緒に寝泊まりして欲しいとお願いした。
妹さんは先日父の葬儀で来たばかりであったが、了承してもらえた。

それまでリハビリの予定はないだろうか。
母に聞くと、もう三日後には予約していて、ご近所の方と一緒に行く約束もしているのだという。
リハビリセンターには先程着いていったので分かるが、予約しているのなら予約券があるはずだから見せて欲しいと母に言う。
鞄から出てきた予約券を見てみると、やはり次回の予約日は三日後などではなかった。
「予定を立てたらまず手帳に書いてよ、ちょっと普通じゃないよ」
ほとほと疲れ果てていたこともある。
ややなじるような口調で母に接してしまった。
このときは私もまだ、言い聞かせてどうにかなるものだと思っていたのだ。
しかし「そんな心配せんでも大丈夫だよ」と相変わらず暖簾に腕押しの答えが返ってくるばかりで、虚無感だけが残った。

母の言葉が何一つ信じられない。
そのリハビリにしても、本人曰く「毎日通っている」のだそうだが、それも違うのだ。伯母に言わせると週一日、多くても二日なのだそうだ。

妻と娘が帰り、3人だけの静かな食卓。
否が応にも空気は重苦しくなる。
母は早々に食事を終えると腰を上げ、何処かへ向かう。
足音から姉の部屋に入ったのだということが分かり、姉と目を見合わせる。
すぐに手ぶらで戻ってくる。
何事もなかったかのように無言でテレビのリモコンを手に取る。
「姉ちゃんの部屋に何か用あった?」
一応は聞いてはみたものの目的はわかってる。
「うん、薬どこ?ちょうだい」
睡眠導入剤を飲みすぎるので、姉が預かっていたのだ。
姉はそれを簡単に見つからない場所に隠しておいた。
必ず寝る前に私が手渡すから、と言ったにも関わらず母は勝手に姉の部屋に取りに行ったのだ。

こんな簡単な約束も守れない。
それに万が一自分で発見できた場合は黙って飲んでいたのだろうか。
家族の目まで欺くようになってしまったのか。
何十年と培った家族の信頼関係が脆くも崩れ去っていく。
視界がどんより曇った気がした。

(71)老後の蓄え

雪は午前中で止んだ。
六日間の滞在を終え、妻と娘が先に帰るため私は駅まで見送る。
途中だだっ広い駐車場にまだ足跡もないふかふかな雪が積もっていたのを見つけ、娘が遊んでいいかと聞く。
いいよと言うと喜んで駆け出した。

私も笑顔になりたいが今はできない。
母は帰りのバスでもやはり降車ボタンを押すことができなかったのだ。
認知症の可能性。10年、20年とかかるかもしれない介護が見えてきた。
今年はDIYを趣味にしようと思って、ホームセンターでペンキや刷毛など一式を買い揃えたけど、そんな余裕はなさそうだな。
だけど娘は育ち盛りだ。
父親と公園を走り回ったり一緒にお絵描きや工作をしたり。それらは今しか出来ないことなのだ。
これだけは続けよう。

この六日間、妻には家事の一切を任せきりだったし、奔放な娘は場を明るくしてくれた。ありがとう。
二人が改札を抜けるのを見届けると、踵を返して家に戻る。
後で聞くとホームからその私の後ろ姿が見えたという。
自分の後ろ姿など普段意識することもないが、雪道を力なく物思いに耽りながら項垂れトボトボと歩く己の姿が思い浮かぶ。

この日、葬儀屋への支払いを済ませる。
思いの外、多くの方に弔問に来ていただきそのお香典で全て賄うことができた。葬儀屋に対し毎月掛け金を支払う互助会の仕組みも役立った。
掛け金はまだ母の分が僅かに残っていたため、お香典の残りで全て支払い完了とする。

しかし今回弔問に来ていただいた方の大半は高齢者である。
不謹慎な言い方になってしまうが、その方たちが亡くなれば今度はこちらが香典をお出しする番だ。
トータルで考えればやはり葬儀代は生前よりお香典とは別にして計算しておかなければならない。
それに加えてお布施、お墓。
現役時代に蓄えるべきお金は老後の生活資金に留まらず、死後に出ていくお金もまた然りだ。
そして介護費用。
実際我が家は介護制度の範囲なら問題なかったのだが、この先、金銭感覚を無くした母の浪費に悩まされることになる。

ニュースでは度々高齢者の貯蓄が経済を停滞させているような話題が上る。
日本全体ではそれは正しいのかもしれないが、今の我が家に限って言えば「貯蓄は幾らあっても足りない」だ。

(70)「ここから、長いですよ」

「まだら痴呆であるかもしれません」
と医師は言う。
ただし彼は外科医であり、専門の診察をしたわけではないのであくまで参考意見の域を出ないのであるが。
「まだら痴呆」とは脳の血流が悪くなることによる認知症の一種で、アルツハイマー型とは異なるらしい。
第三者の口から「痴呆」あるいは「認知症」という言葉が出てきたのはこれが初めてだったが、私からするとそれは想定内の回答だった。

「施設入居も考えた方がいいでしょうか」
事前に姉と打ち合わせてきた質問をぶつける。
これに対して、医師は懐疑的だった。
当院でも介護老人保健施設を併設しているが、これはあくまで治療目的で患者さんが入院し、在宅復帰を目指すものだ。
今のお母さんの症状は軽度と言えるため受け入れてもらえないだろう。
それに精神が不安定なときに生活環境が急変するのは本人にとってもよくない。
医師の見解はこうであった。
私たちは当初の計画通りしばらくはホームヘルパーを付けて経過を見ますと言い残し、診察室を辞した。

次に母の様子を見にリハビリセンターへ。
母は片腕を水中につけ重りを握り持ち上げるリハビリの最中だった。
昨年階段から落ち骨折した手首のリハビリと思われる。
その他、センター内にはスポーツジムにあるような自転車や、重度の患者が利用するのであろう歩行器具などが充実している。母はこの自転車が何より気に入っているらしい。
もうしばらくかかるというので私と姉は一旦待ち合いロビーに向かう。
入り口で母の担当だという若い医師に挨拶をする。

ロビーで壁に貼られたポスターを眺めてていると、今日はもう上がりなのであろう、先程の外科医が笑顔で近づいてくる。
リハビリ、ご覧になられましたかという会話を交わす。
去り際に、医師の一言。
「ここから、長いですよ」

悪気がないのは百も承知だ。
頑張んなさいよ、と向けた笑顔だ。
だが私はその時の外科医の笑顔が、悪魔の笑顔に見えた。
何となく、うっすらと感じていた介護の真実を、眼前に突きつけられた気がした。
これから多くの時間とお金を費やすだろう。そして何より、じわじわと悪化していく肉親の病状を見続けなければならないのだ。
お前にその覚悟があるのか、と。