(16)認知症は自我の危機である
30も半ばを過ぎるとどの家庭でも親の健康状態に関する問題からは避けて通れない。
親族を見渡してみても、健康問題を抱えていない家庭など一つもない。ある家庭は癌であり、ある家庭では精神病であり。
勿論身体を壊したからといって、介護が必要になったからといって絶望しかないわけではない。皆それぞれの病状を抱えながら必死に生きているわけだし、病気と共生して限りある命を謳歌する生き方もある。
ただし認知症はその残りの人生の過ごし方に大きな影を落としてしまう。
先日認知症介護の講演会に参加し、こんな言葉を聞いた。
「認知症は自我の危機である」
自覚症状がない患者ほど、周囲の対応の変化に戸惑う。
母が「子どもにボケ老人扱いされる」とぼやいたように、自分は昔と変わらず過ごしているつもりなのに、必要以上に世話を焼かれると感じる。あるいは怒られ、なじられることに気を病む。「いいからじっとしていて」などと邪魔者扱いされることに負い目を感じる。
私も姉も、最初の内は随分こういった対応をしてしまったと今では反省している。
認知症患者だからといって、自我がなくなったわけではないのだ。
むしろ周囲の関心事がぼやけ、自我はより強くなっていると言ってもいい。
そんな相手に対し自尊心を傷つけることは、苦痛でしかなかったであろう。
認知症は理性による制御が効かなくなり、自我が晒される。自我に相反する出来事はトゲのように直接心に刺さってくる。
先の講演会でもここまでは言わなかったが、私は本当に恐ろしい病気だと思っている。
だから一人でも多くこの苦しみから救われ少しでも穏やかな老後が送れるといいと思うし、我々も認知症患者への適切な対応を知っておくべきだと思う。