おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(38)母が抱えた三重苦

雨が小康状態となった間隙を縫っていつものように叔母が電動自転車でやって来た。
「これみんなで食べてね」とホーローの容器に入った煮物を置いていってくれる。
用事を済ませるとそのまま腰を下ろすこともなく、軽く世間話でもして帰ることが多いのだが、その日は小声で私と姉の二人を家の裏口に呼び出した。

「お母さん、三年前から鬱病なの」
まさかという思いと、やっぱりかという思いが交錯する。
まさか、というのはここ三年で母と電話で話したり顔を合わせたりする上でそのような様子は一切見られなかったからだ。
それに母は昔から姉妹の誰よりも明るく、楽天的だった。
そんな母に鬱病という病はあまりに似つかわしくない。最も遠い病気に思えたのだ。
しかしここ数日の様子、更にはつい先程の火災未遂と、その後の他人事のような反応は、病気なのであれば合点がいく。

きっかけは母の兄、つまり私の伯父の病気だった。
生涯独身の伯父には身寄りがない。
かといって母たち兄弟にもそれぞれ病気を抱えた家族がいる。
母たちは相談し、何とか生活保護の受給と介護施設への入居へとこぎつけたのだ。
ところが最初のうち、伯父は施設職員の言うことを聞かず、その様子は度々母の耳に届いていたのだという。

時を同じくして、父の癌が再発した。十年以上前に行った以来の、大きめな手術が必要となった。
それに加え母自身が腰のヘルニアを患うことになる。
いわば母は三重苦にあったのだ、と叔母は話した。

こう書くと私も姉も、本当に何もしてやれなかったのかという思いはある。
しかしここにも我が家特有の事情があるのだ。
父も母も、家のことや健康のことで困ったことを私たち子どもに漏らすことはほとんどと言っていいほどなかったのだ。