おぼろ豆腐

認知症と少子高齢化について考えた記録

(26)激動の十日間

トンネルを抜け地元駅が近づくと右手方向に日本海が広がる。
幾度となく目にした光景であるが、前の晩に父の訃報を受けた翌日、悲しみに辿り着く手前の、混沌として整理がつかない気持ちで眺める日本海は初めてだった。
私は眠れず落ち着かないまま荷物をまとめ電車に飛び乗ったのだった。

正月二日。
その季節としては珍しく穏やかな日和だった。
足早に実家に向かうと玄関には既に何人かの靴が並んでいる。
駆けつけた叔母や姉、そして葬儀屋のものだった。
居間に入り叔母の第一声、
「霊柩車どれにする?」
拍子抜けすると共に何だか妙に安心もした。
先に父の顔を見てくるからと仏間に寝かされた父の顔から白い布を取る。
最期に会ったのはその前の年の夏。
その時の印象のままの、白髪の父がいた。

居間に戻ると早速葬儀屋との打ち合わせに入る。
基本的に私と姉、父の妹にあたる叔母の三人で決定していく。
母はと言えば、やはり悲しんでいる様子もなく、さりとて叔母のように活発に発言もせず、ただ無表情に淡々と受け答えしているように見えたのだが、その時はまだ異変には気づかなかった。

霊柩車、祭壇に飾る生花、棺桶、香典返し。
カタログにはそれぞれ価格別に数種類、そこから選べるようになっている。
その数万円単位で幅のある価格プランの中から短時間の内に次々と選択していかねばならない。

寂しさを紛らすために葬儀の準備は忙しいものだとは言うが、ここから始まる十日間はまさに悲しむ暇もない激動の毎日だった。
自分たち中心で取り仕切る初めての葬儀 。並行して母の介護手続きも同時に進めた。
そう何度もない貴重な体験だったので、個人的備忘録としても残しておきたい。